『ニッポンの知識人』

ニッポンの知識人

はじめに 闘争の開幕に寄せて宮崎哲弥


第1部 鼎談「ポスト近代モダンの超克」 知識人と世紀末ニッポンを読む(絓秀実 高澤秀次 宮崎哲弥
PART1 知識人と日本の変容 「戦後・1945年」〜「世紀末・1999年」

  • 「大衆知識人」の登場
  • 大衆社会論VS「大衆の原像」論
  • 「宇野・廣松の問題を再検討せよ!」
  • 吉本勝利のあとさき
  • 葬送派=日本のヌーヴォー・フィロゾーフ?
  • ポスト獲得闘争という発端
  • メディアヒエラルキーの崩壊とサブカルの潜行
  • 「開かれない」知識人の言葉
  • 丸山眞男と〝戦後啓蒙〟
  • 世界ランキング入りする日本の知識人は?
  • 言語/リアル/神秘
  • 変幻自在!中沢新一の「神秘」概念

PART2 ポストモダン!ポストバブル!ポスト国民国家 戦後民主主義のなかの「主体」

PART3 平成知識人の診断書 知的であるということ


知識人マップ
【知識人マップ解説】


第2部 知識人ミシュラン インテリたちの通信簿

文壇・思想系 文学・哲学・言語学精神分析学22人

社会科学系 政治学社会学・経済学15人

論壇系 歴史・民族・啓蒙・ジャーナリズム24人


あとがき(絓秀実)

宮崎  大塚は、何をもってサブカルチャーと定義しているのか。私にはあまりわかりませんね。大塚のサブカルチャー概念は、「様々な表象を、本来の歴史的文脈や主体的意思から剥離して、無秩序に寄せ集め、張り合わせた」シロモノぐらいの意味でしょう。これは確かにある文脈では当たっているのです。私はすでに、これとほぼ同じことを、小泉今日子秋山道男を論じた文章のなかで指摘しています。(「『小泉今日子』の時代の終焉」一九九四/『正義の見方』所収 一九九五 洋泉社)。けれど、それはサブカルの一側面に過ぎなくて、これだけだったら、実につまらんブリコラージュ論にすぎないわけでしょ。しかも、こうした用語法は、大塚の批評文の中だけで完璧に閉じられているのに、定義はいつも揺動していて、一定していないんですよ。こういうのは、大昔の文芸時評の手口ですね。こんなやり方がまだ通用する、文芸誌ってホントに不思議なメディアだと思うなあ。
 サブカル本流の中核は、ポップ・ミュージックのスタイルです。あと、文字通りのスタイル。とくにプレタポルテ系のモードね。それからCMのスタイル。そしてドラッグ、ダンス。小説とか、マンガやアニメなんかの意味系、物語系は、ピュアなサブカルじゃないに決まっている。文学史なんか関係ないです。サブカルにとって、どーでもいいことです。ちなみに、サブカル評論の最高傑作は、田中康夫の『たまらなく、アーベイン』(一九八四 中央公論社)ですよ。ポップ・ミュージックのスタイルににじり寄った唯一の文体です。当時、おしゃれな遊び人の大学生は、みんな持ってましたよ。中森明夫の『東京トンガリキッズ(一九八七 JICC出版局/現宝島社)田口賢司の幾つかの小説もまた、サブカルになりえた数少ない書物の一つでしょう。いまや、こういう仕事ってホント少なくなったよねぇ。近田(春夫)さんの『考えるヒット』(一九九八 文藝春秋)とか、清野栄一の『レイヴ・トラヴェラー』(一九九七 太田出版)とか、『サバービア・スウィート』系の、クラブDJ系たちによるレヴューぐらいじゃないですか。サブカルチュラルな「スタイルの文章」って。とにかく、野暮なオタクにサブカルを規定されたくないって感じがするんですが、絓さんはどう思われます。

35〜37頁からの引用であるけれど、宮崎哲弥サブカルチャー概念についていささか得意気に講釈しているのである。「中森明夫の『東京トンガリキッズ』〔…〕もまた、サブカルになりえた数少ない書物の一つでしょう」という発言は宮崎哲弥の選択眼(審美眼?)に一抹の疑念を抱かせるものであると思う。また、清野栄一への言及があるけれど、『週刊文春』2009年3月5日号掲載の「仏頂面日記(125)」には次の記述がある。

 『ニュースの深層』(朝日ニュースター)。二十代からの友人に登場してもらった。作家の清野栄一だ。
 大学のサークルが一緒で、そこでアヴァンギャルドな映画や音楽の話ばかりしていた。お互いテイストは異なるものの、奇矯なファッションでキャンパスを闊歩し、いかにも「ビジネス界寄りの大学です」という雰囲気に馴染んだ学生たちの顰蹙を買っていた。
 以前にも書いたが、どういうわけか私の友人には、微温的な学風に反逆して世に出た者が多い。右翼思想研究家の片山杜秀、音楽評論家の許光俊、翻訳家の徳川家広、そして清野だ。

すなわち、宮崎哲弥清野栄一慶應大学在学時からの友人であったということである。