『遠くまで行くんだ﹅﹅﹅﹅﹅』

遠くまで行くんだ…全6号(1968~1974)完全覆刻
『遠くまで行くんだ・・・ 全6号(1968〜1974)完全覆刻』
(『遠くまで行くんだ・・・』復刻版刊行委員会*1/発行日―2007年11月7日第1刷/発行所―白順社

創刊号(一九六八年10月30日発行)

序詩 「知られざる人々へ」 野口成郎
われわれの闘いの出発にあたって 「遠くまで行くんだ・・・」編集委員会
倫理的、余りに倫理的な 日本的党の倫理性の崩壊 小野田襄二
更級日記の少女 日本浪曼派についての試論(一) 新木正人
フランス「五月革命」の拡散と進行 重尾隆四
東大闘争より
経済学と思想(上) 宇野経済学の思想的根拠について 小野田襄二
日本革命思想の再検討(一) 加納明弘
編集後記


第2号(一九六九年2月20日発行)

序詩 「はやり歌の」 井川武
ユートピアから廃墟へ 党派的運動の終焉を越えて 重尾隆四
社会主義社会論の一考察 等量労働交換について 小野田襄二
〝灰〟の思想 麻西真
更級日記の少女 日本浪曼派についての試論(二) 新木正人
経済学と思想(中) 宇野経済学の思想的根拠について 小野田襄二
吉本隆明試論(一) 重尾隆四
編集後記


第3号(一九六九年7月20日発行)

「異時空夢想は星に片足ひっかけた男の黒い死体のピラピラ」 宮崎純
更に廃墟へ!! 勝利なき潰滅への長い線 重尾隆四
「落葉松」断章 新木正人
鄢田寛一の戦いと敗北(一) 戦後日本マルクス主義論I 小野田襄二
寂しき冬の日に 小畑正義
讃歌 久坂鉄
政治思想論I 解体しゆく政治情況下における私たちの戦いの場 小野田襄二
吉本隆明試論(二) 重尾隆四
編集後記


第4号(一九七〇年5月15日発行)

棲息論1 遥かなる神神の館へのイマージュ しげむらつとむ
政治思想論II 戦後日本における革命の根拠 小野田襄二
恋唄 野口雄
変革 草薙峻
たばこを吸わなかったひととき 芦名猛夫
黒田寛一の戦いと敗北(二) 戦後日本マルクス主義論I 小野田襄二
黛ジュン(上) 新木正人


第5号(一九七二年11月10日発行)

政治における極北の論理 再出発への宣言 小野田襄二
絶対性の原像(一) 鵜飼耕二
挽歌祈禱 角口和憲
非望 角口和憲
非常の時が落下する 重尾隆四
嘉村磯多ノート(一) 河崎西真
吉本隆明試論(三) 重尾隆四
赤い靴 新木正人
文学観への回帰 甫代紘平
編集後記


第6号(一九七四年十月十五日)

詩三編 角口和憲
 緑月葬送
 死者の夏へ
 訣別
自己勃起をめざせ! もしくは不眠の時代を走り続けろ 大谷紘平
冬至から 河崎西真
吉本隆明試論(四) 重尾隆四
客観性への意志(上) 戦後思想論 小野田襄二
編集後記


第7号(2007年10月)

自由意志とは潜在意識の奴隷にすぎないのか 新木正人
錯誤する進化──その泥にまみれた人類 小野田襄二


【解説】「党」とはなにか、「少女」とは誰か 日本における「六八年の思想」の一断面 絓秀実

  • 1 六八年という時代に” 全共闘世代のリトルマガジンとして先駆的な『遠くまで行くんだ・・・』は三〜四千部売れていた。『遠くまで行くんだ・・・』グループ=「小野田派」は早大、埼大、法大などで「反戦連合」として全共闘運動の一翼を担った。『叛旗』『甦る不死鳥』という全共闘世代によるリトルマガジンも出ていた。
  • 2 「党」と「自立」の間で” 全共闘ノンセクトは、GHQから与えられた大学自治会(ポツダム自治会)の連合である全学連(と全学連を主導する党派)を超克することを志向した。党派批判は吉本の「自立」を参照した。『遠くまで行くんだ・・・』掲載文は概して吉本や桶谷秀昭の影響下にある。
  • 3 「党」をめぐって──吉本隆明から黒田寛一” 吉本を代表的な一人とする資本制批判を放棄した元・急進インテリゲンツィア=新左翼は文化領域ではヘゲモニーを奪取した。日共は60年代前半に有力党員文化人を排除することで文化ヘゲモニーを放棄し、議会に小さな政治的位置を確保した。新左翼の代表的理論家である黒田は吉本と異なり、社共に変わる真の「党」建設を志向し、新左翼政治という学生運動や労働運動での実践においてヘゲモニーを奪取したが、文化ヘゲモニー闘争では敗北した。
  • 4 「党」──放棄、回帰、反転” 「党」は《大衆の革命性・行動⇔革命性の指導・理念》という二律背反を抱える。換言すれば《ローザ主義=大衆重視⇔レーニン主義=党重視》という二律背反を「党」が内包している。つまり革命の主力は大衆の行動力であるが、大衆の行動力を革命へ方向付ける理念と指導力を持つのは「党」であるという二律背反である。大衆の行動力は指導が与えられなければ欲望に任せて放恣に拡散するだけであり、「党」による指導=矯正は大衆の行動力を阻害し、鬱陶しがられる、ということだろう。「自己の無底性」「故郷喪失」「不安」「自由浮動性」を持つ者こそが「党」の二律背反を生きうる(揚棄する?縫合する?)「政治家」「例外者」(決断主義者)である。
  • 5 「反政治の政治」というアンチノミー” シュミット的決断主義は殺人を正当化するおぞましさを孕む。「小野田の政治論は、「党」がはらむおぞましさを美学化しうる、「政治家」=「例外者」の存在を措定することに眼目がある」という一節はどういう意味なのだろう。「党」がはらむのは二律背反で、おぞましさをはらむのは「党」の二律背反を美学化する(生きうる?揚棄する?縫合する?)「政治家」「例外者」の決断ではなかったか。「「党」がはらむ二律背反を美学化するために措定される「政治家」=「例外者」の決断はおぞましさをはらむ」ではないのか。
  • 6 「少女」という普遍性” 新木正人はロマン主義的文章を書いた。決断主義ロマン主義はともに機会原因論的(場あたり的?)である。しかし新木は「少女」という場当たり的ではない一貫した対象をもち、三島由紀夫や桶谷における「天皇」に匹敵する対象である。ゆえに新木は機会原因論=場当たり性から「微妙に距離」をとる。機会原因論は男根的決断に至る。「少女たちの「かわいい」天皇」は不決断で無責任であるが、「天皇」は最終的には(「聖断」のごとく)決断するので、新木の「少女」とは「微妙な違い」がある。「微妙な距離・違い」は、決断主義志向を持ちつつ、決断を延引させグズグズにする。新木の機会原因論からの「微妙な距離・違い」は機会原因論決断主義脱構築である。三島の「天皇」は「もう待てぬ」=「男根的決断」に至るが、新木の「少女」は「永遠に待つ」=「変態的不決断」(「決断の変態的延引」)である。「天皇」は向かう(=決断する)対象であり、「少女」は向かえない(=決断しない)対象ならざる対象である。

*1:岩佐荘太郎,大下敦史,蔵田計成,小野田襄二,佐々木幹郎,新木正人,絓秀実,高取英立松和平麿赤児