絓秀実「時評 タイム・スリップの断崖で」

第1回/さらに、踏み越えられたエロティシズムの倫理──大西巨人の場合*1
第2回/リベラル・デモクラシーの共犯──鶴見俊輔の場合*2
第3回/脱落するロウワーミドルクラスと2ch「ウヨ」共同体の誘惑
第4回/デリダが亡くなった時、宮本顕治について考える
第5回/マネー資本主義が眩惑するもの
第6回/「革命無罪」から「愛国無罪」へ──「東風」計測の新・尺度──
第7回/小泉総選挙勝利を準備した市民ならざる「市民」の正体
第8回/「下流社会」時代に、「女系天皇」システムが無際限に拡大させる新・「上流社会」
第9回/フランス暴動ホリエモン早大キャンパス警官導入······。立場への決断を問わぬ「非決定」の陥穽に打開の道はあるか*3
第10回/誰も反対しない「国民運動」=クール・ビズに露見する新しい警察国家の様式
第11回/憲法九条擁護の切り札=「富田メモ」が生んだ天皇制をめぐる逆説的な状況
第12回/「好景気」安倍ニッポンはなぜ「国家」を語るか──外交に爆弾を抱える日米のある共通点
第13回/今、政治家に求められる「親バカ的弱さ」──都知事選石原圧勝が暗示する新・父権的国家論
第14回/安倍辞任と朝青龍問題の共通点──「戦後レジームからの脱却」はアメリカンヘゲモニー崩壊の時しかない
第15回/福田政権下の「政治」失調──全政党を包摂する「永久革命としての民主主義」を疑え
第16回/「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」の白昼夢の中で永遠に「毒入り餃子」を食べ続ける資本主義的記憶喪失
第17回/タバコ一箱一〇〇〇円の欺瞞──生きることを強制し死の権利を否定する統治のイデオロギー
第18回/ふさわしくない政治指導者だけが選ばれる〈テレポリティクス〉という自家中毒
第19回/左派よ、KY麻生の提起に乗じて、世界規模の「定額給付金」を主張すべきでないか
第20回/「資本」に買収されていくルンプロ、小ブルのジレンマを打開する、唯物論と選択の是非
第21回/国家と諸個人が直に接する「戦争状態」となった現代日本での、「戦争機械」の作動ぶり
第22回/議会制民主主義における選挙は、偽装されたアイデンティティー・クライシスにほかならない
第23回/個々の「実存」を賭すよう促す、不健全な民主主義時代における、反貧困運動〝転移〟の惧れ
第24回/小沢=民主党政権が翼賛的「国民戦線」を目指す今こそ、左派は〝二十世紀の間違い〟を歴史的に問い直すべきである
第25回/菅「市民派」政権が、中曽根・小泉を継いで、資本(=市民)による自由競争/新自由主義体制を完成させる
第26回/公然化する貧者のナショナリズム──「政治」が消滅しつつある世界における、ニヒリズムの「戦争」への予感
第27回/アラブ革命という世界史的地殻変動を前に、終末論的な思考に依拠する無自覚な「反原発」、「戦後」の反復は通用しない
第28回/気分に支配される政局──新自由主義者・孫は良くて菅はダメ。反原発運動で忘れられているのはネオリベ批判の契機だ
第29回/原発と貧困はどうかかわるべきか──日本の「脱」原発新自由主義的な格差拡大としてあらわれてくるだろう
第30回/橋下路線強力化のいま、地方地方の「脱」原発が普遍的な「正義」とならず、その総和が世界化しないことを、見極めよ
第31回/〝資本主義社会の維持=民主主義〟という等式に囚われている限り、原発再稼動も消費税増税も粛々と進んでいく
第32回/「野田やめろ」スローガンは、日米同盟堅持(=原発維持)へと反転し、安倍自民党政権への道をひらいたのではないか
第33回/反原発運動と反貧困運動は、日本資本主義の回復ではなく、反資本主義を目指す運動として手を結ぶべきだったのだ
第34回/ブラック企業批判へと転換した貧困問題は、「階級」消去装置の解除──「階級」を露呈させることで対抗するべきだ
第35回/反原発運動に、レイシズム問題。御用リベラルも保守派も大御心に待つ姿勢──重責を天皇に負わせる無責任さを改めよ
第36回/米中世界新秩序に対応しきれない我々は、戦争を待望しつつ中国経済に依存するという宙吊り状態を引き延ばそうとする
第37回/集団的自衛権問題で露呈する、保守派=日米同盟破棄、リベラル左派=日米同盟堅持の奇妙さ
第38回/没落の危機を感じているL型ミドルクラスは在特会レイシズムに助けを求めるしかないのか
第39回/イスラム国への理解放棄の現状は「承認」を旨としたヨーロッパ的普遍主義ゆえ。が、我々はそれ以外の知的パラダイムを持たない
第40回/米国が「平和勢力」のいま、リベラルも左派も「反安保」を唱えることはない
第41回/民主主義が問題化する今、明確な主張をもつ、新しい民主主義の具体的なイメージを描くことから始めるほかない
(「en-taxi」Vol.5〜16,18〜46)


「時評 タイム・スリップの断崖で」以外に絓秀実が「en-taxi」に登場したのは下記の通りである。

荒井晴彦+絓秀実(進行=福田和也)/脚本家・笠原和夫の「反」*4
絓秀実/〈都の西北ワセダの隣〉の理想郷*5
絓秀実/「『敗北』の文学」の結論 宮本顕治*6
坂本忠雄+絓秀実+福田和也/鼎談 日本に「アプレ・ゲール作家」は存在しえたのか*7
絓秀実/アヴァンギャルド社会主義リアリズムの狭間で──蔵原惟人の可能性*8

*1:大西巨人 抒情と革命』収録

*2:http://www.teisensha.com/zenkyoutoh/tsurumi.htm

*3:http://www.teisensha.com/zenkyoutoh/entaxi13suga.htm

*4:en-taxi」Vol.11,特集「「七〇年代東映」蹂躙の光学」の一環

*5:en-taxi」Vol.15,特集「「お笑い」から遠く離れて」の一環.このエッセイに「私事に過ぎないが、私はそのトロッキストたちのなかでは「ケムンパス」と呼ばれていた。今もなお「狂犬」の面影を残すある男などは、今でも私に会うと、そう呼ぶ。まあ、狂犬たちにとっては軟弱な「おじゃま虫」であったのだろう」という記述がある.「Front5 展開する文芸批評家 5 すが ひでさん 状況論より作品論を」(中田浩二記者、読売新聞1986年2月28日夕刊)に「辞書をパッと開いて菅と絓が読みが同じところから安直につけたペンネームだそうだ。絓は「絓糸(すがいと)のことで、まあ、糸くずのことですね。私もくず﹅﹅だから似合ったもの」と笑う」とあり,「プチブル急進主義者は悪趣味バッドテイストがお好き──六八年革命と『ハレンチ学園』」(『広告』1999年3・4月号)には「ちなみに、当時の私は、バリケードのなかでは、赤塚マンガのキャラクターにちなんで「ケムンパス」と呼ばれていた。毛虫の、あのけむんぱすである。このケムンパスというニックネームは、ものを書きはじめた私が或る事情からペンネームを名のらねばならなくなった時、「絓」という字を選択させる要因ともなった。「絓」とは、広辞苑を引けば分かるように、蚕の糸の「クズ」という意味である。言うまでもなく、蚕は元毛虫にほかならないし、毛虫自体がクズのような存在である」とあり,筆名の由来が明かされている.

*6:en-taxi」Vol.19,『天皇制の隠語』収録

*7:en-taxi」Vol.23,特集「アプレ・ゲール 手ぶらで帰った男たち」の一環

*8:en-taxi」Vol.25,特集「赤い非望 主義者たちの闘争線」の一環,『天皇制の隠語』収録