絓秀実「全共闘という愚行」

絓秀実は雑誌『発言者』で三度連載を行った。最初が「教育批判論序説」全12回(1996年7月号〜1997年6月号)であり、この連載はすべて『大衆教育社会批判序説』に収録されている。次が下記の「全共闘という愚行」全25回である。最後が「ポストポリティクスのなかの政治」全25回である。

(1)当事者中心主義の彼岸*1

  • 愚行/愚劣
  • 全共闘は存在しない
  • 軽挙と誤解?
  • 「無責任」へ

(2)無意識としての「産学協同反対」(1)*2

  • 全共闘の前哨
  • ヤクザと学生服
  • 「大学解体」以前
  • 諸刃の刃の論理

(3)無意識としての「産学協同反対」(2)未来はないと知ること*3

(4)無意識としての「産学協同反対」(3)「大学解体」というモチーフの登場*4

  • 日大全共闘の問題
  • 学生という相対的過剰人口
  • 「高価な労働力」の不可能性
  • 大学というイデオロギー装置

(5)反システム運動としての「大学解体」(1)*5

  • 戦後民主主義批判とは何か
  • 丸山真男と「わだつみの像」
  • アカデミシャンへの「信頼」
  • 「日本の学問は十年遅れた」

(6)反システム運動としての「大学解体」②戦後民主主義批判」とは何か*6

(7)反システム運動としての「大学解体」③機能失調する「就職予備校」*7

  • 大衆教育社会の帰結
  • 六〇年安保世代との相違
  • 現在の大学院生の位置
  • 死滅するマンモスとしての大学

(8)日本における「六八年の思想」①*8

(9)日本における「六八年の思想」②*9

(10)日本における「六八年の思想」③(上)*10

  • 六〇年代カウンター・カルチャー
  • ボヘミアン的反抗
  • 「抑圧の仮設」の導入
  • 「造反教官」たち

(11)日本における「六八年の思想」③(下)*11

  • アカデミズムからの「自立」の帰結
  • 六八年から九〇年へ
  • 「世界思想」の不可能性
  • 「外」の政治的な再定義

(12)アイデンティティ・ポリティクスの転移*12

(13)マイノリティ運動の思想的背景*13

(14)日本におけるポストモダンの成立*14

(15)「六八年」の世代的表現*15

  • 忘れられたイデオローグ
  • 戦後的なものの呪縛
  • スターリン批判の諸相
  • 一九三〇年代の継承

(16)市民主義の再導入*16

  1. 「疾しい良心」の露呈
  2. アジアの発見
  3. 六八年ポストコロニアリズム
  4. 「生活の場」の内と外

(17)「差別論」のディレンマ*17

  1. マイノリティという問題系
  2. 負債を決裁する主体
  3. 等価交換の原則の回帰
  4. 「他者」は存在しない?

(18)ロマン主義的心性の失墜*18

  1. 石原慎太郎全学連
  2. 文学的ロマン主義の行方
  3. 六〇年代反文化運動の核心
  4. 「前衛」美術運動の位置

(19)ジャンク的なものの導入*19

  1. 反芸術/反権力
  2. ジャンク化/散文化
  3. 「桜画報」と野次馬
  4. 市民主義化するジャンク

(20)「もの」としての国家*20

  1. 憲法論議の不在
  2. 権力論の転換
  3. カルチュラルスタディーズと江藤淳
  4. 享楽の対象としての国家

(21)予言者的知識人の廃虚*21

  1. レーニン主義と知識人
  2. 知識人のジャンク化
  3. 六〇年安保の二つの「総括」
  4. 知識人に依拠せぬ革命

(22)「戦争」への欲望と、その隘路*22

  • 先送りされる「予言」
  • 「革命戦争」の失墜
  • 「戦争と革命の時代」の終わり
  • レーニン主義への回帰

(23)文化大革命のもたらしたもの*23

(24)最終決定審級の破壊*24

  1. スターリン批判の思想
  2. 経済決定論からの脱却
  3. 知識人の機能失調
  4. テクノクラートと「大衆」

(最終回)六八年革命から「J回帰」へ*25

*1:『発言者』1998年4月号, pp.84-89

*2:『発言者』1998年5月号, pp.100-105

*3:『発言者』1998年6月号, pp.100-105

*4:『発言者』1998年7月号, pp.104-109

*5:『発言者』1998年8月号, pp.100-105

*6:『発言者』1998年9月号, pp.104-109

*7:『発言者』1998年10月号, pp.80-85

*8:『発言者』1998年11月号, pp.90-95

*9:『発言者』1998年12月号, pp.106-111

*10:『発言者』1999年1月号, pp.112-117

*11:『発言者』1999年2月号, pp.104-109

*12:『発言者』1999年3月号, pp.96-101

*13:『発言者』1999年4月号, pp.110-115

*14:『発言者』1999年5月号, pp.106-111

*15:『発言者』1999年6月号, pp. 88-93

*16:『発言者』1999年7月号, pp.88-93

*17:『発言者』1999年8月号, pp.82-87

*18:『発言者』1999年9月号, pp.94-99

*19:『発言者』1999年10月号, pp.110-115

*20:『発言者』1999年11月号, pp.106-111

*21:『発言者』1999年12月号, pp. 50-55

*22:『発言者』2000年1月号, pp.126-131

*23:『発言者』2000年2月号, pp.118-123

*24:『発言者』2000年3月号, pp.118-123

*25:『発言者』2000年4月号, pp.118-123