雑誌メモ

文藝春秋』6月号「人声天語」(156)/「快獣ブースカに再会して」

文藝春秋』7月号「人声天語」(157)/「相撲人気は完全に復活した」

文藝春秋』8月号「人声天語」(158)/「舛添要一は自転車に乗って」

週刊文春』5月19日号「文庫本を狙え!」(890)/小林一三『逸翁自叙伝 阪急創業者・小林一三の回想』(講談社学術文庫

週刊文春』5月26日号「文庫本を狙え!」(891)/佐藤隆介『素顔の池波正太郎』(新潮文庫

週刊文春』6月2日号「文庫本を狙え!」(892)/広岡敬一『ちろりん村顛末記』(ちくま文庫

週刊文春』6月9日号「文庫本を狙え!」(893)/赤田祐一ばるぼら『定本 消されたマンガ』(彩図社

週刊文春』6月16日号「文庫本を狙え!」(894)/ミラン・クンデラ『小説の技法』(岩波文庫

週刊文春』6月23日号「文庫本を狙え!」(895)/江戸川乱歩明智小五郎事件簿Ⅰ D坂の殺人事件|幽霊|黒手組|心理試験|屋根裏の散歩者』(集英社文庫

週刊文春』6月30日号「文庫本を狙え!」(896)/坂上弘『故人』(講談社文芸文庫

週刊文春』7月7日号「文庫本を狙え!」(897)/浜口庫之助『ハマクラの音楽いろいろ』(立東舎文庫)

週刊文春』7月14日号「文庫本を狙え!」(898)/高良勉編『山之口貘詩集』(岩波文庫

週刊文春』7月21日号「文庫本を狙え!」(899)/マツコ・デラックス『デラックスじゃない』(双葉文庫

『SPA!』5月3・10日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.628/「福田特番 ゲスト・加藤陽子歴史学者) これから世界で戦争が起きることはあるんでしょうか?」

『SPA!』5月17日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.629/「震災後、ネットで叩かれてる人たちの代わりに炎上しよう」

『SPA!』5月24日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.630/「あの火事が起きてから2週間、ゴールデン街で見舞い酒」

『SPA!』5月31日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.631/「福田氏の衝撃的カミングアウト「食うことと書くこと」の裏側」

『SPA!』6月7日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.632/「舛添のゴージャスは「竜宮城」面白いから辞めないでほしい」

『SPA!』6月14日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.633/「坪内特番 ゲスト・近田春夫ロックンローラー) 鉄の意志でふざけ続ける。それがロックンロールだと思う」

『SPA!』6月21日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.634/「坪内特番 ゲスト・近田春夫ロックンローラー) ビートたけし泉谷しげる······〝転向〟したら告知してね」

この回には坪内祐三による矢沢永吉についての次のような発言がある。

近田 裕也さんのバックバンドをやってたから。矢沢永吉は裕也さんの楽屋に挨拶に来て、非常に腰の低い兄ちゃんって感じでしたね。
坪内 永ちゃんは「高校卒業と同時に、ギター片手に夜行列車で上京した」と言われてるけど、日大全共闘議長だった秋田明大のインタンビュー(図書新聞'08年7/12号)を読むと、「全共闘と敵対していた日大の体育会は暴力的で怖かったけど、空手部の矢沢永吉だけは優しかった」と。その言葉が本当だとしたら経歴詐称だよね。
近田 今日まで知らなかった。日大卒って言われるとありがたみが減るよね。
坪内祐三近田春夫ビートたけし泉谷しげる······〝転向〟したら告知してね」(『SPA!』2016年6月21日号)❞

以前にも次のような記述があった。

 朝、『図書新聞』最新号(七月十二日号)巻頭の秋田明大のインタビュー「日大全共闘は自由を求めて闘った」(インタビュアーは小嵐九八郎)を読む。かなりディープで読みごたえあるインタビューだが、その中で、秋田明大はこんなことを口にしている。「大学一年の時は、校舎があった三島で水泳部だったです。一年間やりました。三島では矢沢永吉が一緒にいましたね。空手部です」。えっ、矢沢永吉って日大に通っていたの。そんなこと、『成りあがり』(一九七八年)はもちろんその前(一九七五年)に出たキャロルの『暴力青春』でもひとことも語られていないぞ。でも秋田明大矢沢永吉と同じ広島県の出身だから、この話、けっこう信憑性があると思います。
坪内祐三矢沢永吉って日大生だったの?」(『本の雑誌』2008年10月号、『書中日記』収録)❞

坪内 若い人が'68年とか'70年に興味持つのはいいんだけど、デタラメを鵜呑みにしないで、きちっと調べてほしいね。調べるべきことって、たくさんあるんだよ。例えば3年前くらいの『図書新聞』かな、「'60年代・'70年代を検証する」として日大全共闘の委員長だった秋田明大(64歳)のインタビューが載ってたのね('08年7月12日号)。日大って、体育会の学生が大学当局側に協力して、全共闘セクトの学生の指をグチャグチャに潰したり過激なことをしたわけ。なんだけど、秋田明大が、空手部は例外だったとしつつ、「大学1年のとき、三島校舎で矢沢永吉が一緒だった。矢沢は空手部だった」って言ってるんだよ。えっ、矢沢永吉って日大行ってたの!?と。矢沢は、広島の高校を出てからギター1本持って横浜に──ってことになってるけど、どうなんだろう? 秋田明大が狂ってるのかもしれないけど······三島校舎で空手部というディテールがリアルでさぁ。
福田 インタビュアーは「それ本当なんすか?」って聞かなかったのかな。まぁ、矢沢の自伝『成りあがり』を読んだことなかったのかもしれないけど。
坪内祐三福田和也「あの頃の僕より今のほうが若い──年の取り方もいろいろである」(『SPA!』2011年6月7日号、『不謹慎』収録)❞

坪内 さすがだよね。日大闘争のときに日大のトップだった古田重二良さんはほとんどヤクザみたいだった。古田さんは日大をマンモス大学にしていくんだよ。ただ、そのなかで使途不明金があるってことが問題になって、学生から追及されるわけ。その日大闘争のとき、古田さんは体育会系を組織して、全共闘の指をへし折ったりするんだよ。そこで日大全共闘議長の秋田明大が言ってたのは、空手部は例外で、「大学1年のとき、三島校舎で矢沢永吉が一緒だった。矢沢は空手部だった」と。
福田 矢沢って高校を卒業してすぐにギターを抱えて上京したんじゃなかったっけ? それで、横浜で途中下車して音楽を始めてるから、大学には行ってないはずだよね。
坪内 秋田明大図書新聞のインタビュー('08年7月12号)で答えてるんだよ。その経歴詐称がホントならスクープだよね。
福田 矢沢神話が瓦解するよ。
坪内 「なんだよ、大学行ってたのかよ」と。まだキャロルが活動してた時期にジョニー大倉が失踪したことがあるけど、そのことに失望して失踪したんじゃないかね?
福田 あと、キャロルが解散してだいぶたったころになって、ジョニー大倉がホテルのベランダから落ちて大怪我したこともあったよね。あれも「大学に行ってたのか」とショックを受けて落ちちゃったのかもしれない。
坪内祐三福田和也「ある意味、ヤクザって街の潤滑油でもあるわけだよね」(『SPA!』2015年12月1日号)❞

図書新聞』2008年7月12日号のインタビューにおける秋田明大の発言は次の通りである。

小嵐 広島に帰った時、二八歳ですか、どういう感じで日々を過ごしていましたか。 スポーツは?
秋田 仕事はまじめにやっていました。酒はそんなに飲みに行かなかったです。
 高校時代はラグビーをやっていましたが、ものにならないということで、一年でやめました。足を痛めて、ひきずって歩いていました。やめたとたんに、体も丈夫になってね。自分の体と闘っていたんでしょうね。やめたとたんに打ち克ったんですね。小さい時は朝から晩まで泳いでいました。大学一年の時は、校舎があった三島で水泳部だったです。一年間やりました。三島では矢沢永吉がー緒にいましたね。空手部ですね。日大闘争の時は、空手部は、詳しいことは知りませんが、全共闘支持でもないけれど、傍観という態度でしたね。
秋田明大(聞き手・小嵐九八郎)「日大全共闘は自由を求めて闘った──秋田明大氏(元日大全共闘議長)に聞く 60年代・70年代を検証する」(『図書新聞』2008年7月12日第2877号)❞

1947年1月生れの秋田明大と1949年9月生れの矢沢永吉の間には3歳の年齢差があり、秋田発言の信憑性を検証する際に考慮しなければならないだろう。

『SPA!』6月28日・7月5日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.635/「天才ボクサー以上の存在だった〝アイコン〟モハメド・アリが逝った」

『SPA!』7月12日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.636/「ケンタッキーで飲みながらアメリカに憧れた時代を思う」

『SPA!』7月19・26日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.637/「恵まれた若者がテロに走る──〝生きる意味〟探しだったのか?」

週刊ポスト』5月6・13日号「この人に訊け!」/坪内祐三「「無態度の態度」という筆致で描かれた大きなスケールの書」─出久根達郎『謎の女 幽蘭 古本屋「芳雅堂」の探索帳より』(筑摩書房

http://www.news-postseven.com/archives/20160503_406612.html

週刊ポスト』7月1日号「この人に訊け!」/坪内祐三「昨年放火で焼失した喫茶店に集った文化人たちの思い」─甲斐扶佐義編著『追憶のほんやら洞』(風媒社)

http://www.news-postseven.com/archives/20160625_422582.html