雑誌メモ

文藝春秋』2月号「人声天語」(176)/「一九六八年革命から五十年」

週刊文春』1月18日号「文庫本を狙え!」(965)/大庭萱朗編『田中小実昌ベスト・エッセイ』(ちくま文庫

田中小実昌ベスト・エッセイ (ちくま文庫)

週刊文春』1月25日号「文庫本を狙え!」(966)/網野善彦鶴見俊輔『歴史の話 日本史を問いなおす』(朝日文庫

歴史の話 日本史を問いなおす (朝日文庫)

『SPA!』1月2・9日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.695/「相撲と神社で騒動が起きると大きな災いが降りかかる!?」

『SPA!』1月16・23日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.696/「世界中で若者が大暴れしていた'68年の革命は成功? 失敗?」

この回では絓秀実に触れている。「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」でこれまでに言及された個所を引き写しておこう。

  • VOL.132「阿部和重小林薫容疑者も36歳。30代半ばに何かが起きている?」(『SPA!』2005年3月8日号)

坪内 渋谷のユーロスペースで、絓秀実スガヒデミさん(評論家)をメインに据えたドキュメント映画をやってるでしょう。『レフト・アローン』。
福田 柄谷行人さんや西部邁さんとか、'60年代の学生活動家がたくさん出てますよね。
坪内 絓さんて意外と映画映えするんだよ。その必敗者感も含めてね。
福田 '68年の世界革命。絓さんが、それこそ十何年前から言い続けてることですよね。
坪内 おもしろいのは、映画を作ったのは'68年のリアルタイムに絓さんとともに活動家をやってた仲間じゃない。監督はまさに'68年生まれだったり、その頃を知らない若い人たちだってことなんだよ。
福田 当時、まだ乳児だった人たち。
坪内 その年代の人たち、いま燃えてたりするんだよね。それこそ、映画で語られる1968年とはまた別の「もう一つの'68年問題」といえるくらいで──。

  • VOL.137「バイトや派遣の諸君。そのヒドい労働現場を文章に書いてみたら?』(『SPA!』2005年4月12日号、『正義はどこにも売ってない』収録)

坪内 最近の大学は学生たちがタムロする居場所──「淀む場所」をどんどん排除しようとしてるでしょう。そこはかわいそうだよね。早稲田でも4〜5年前、サークルの部室を新しい学生会館に強制移転したんだけど、新学館はカードキーと監視カメラで管理されてて、勝手に集まったりできない。で、反対運動が起こって、非常勤講師の絓秀実先生がアンガージュ(参加)してね、それが映画『レフト・アローン』のきっかけなの。

  • VOL.292「若者に人気らしい『蟹工船』より『党生活者』のほうが面白いよ」(『SPA!』2008年6月10月号、『無礼講』収録)

福田 全共闘世代の評論家のすが秀実さんなんて、学生運動やってた時代に「スネに五寸釘打たれた」っていうからね。*1それも女に。
坪内 五寸釘寅吉だね。
福田 寅吉は五寸釘を足で踏んでるけど、絓さんは、スネに打たれたの。大学が学習院でしょう。軟弱な大学だと思われてるぶん、そういうとこの過激派は、乱暴なことをしないとハバが利かせられないんだろうな。

  • VOL.381「愛子さま不登校会見は、皇太子ご夫妻の意思か?が事の本質だ」(『SPA!』2010年3月30日号、『革命的飲酒主義宣言』収録)

福田 これ、前にも言ったけど、評論家の絓秀美さんが学習院大学でしょ。学習院の左翼だから、ナメられちゃいけないっていうんで、逆に過激化して、学習院の核マルに五寸釘をすねに打たれたり。
坪内 学習院全共闘って······ねぇ。

  • VOL.390「業界外からは窺い知れない世界、「文壇バー」は今どうなっているか」(『SPA!』2010年6月8日号)

福田 直接的コミュニケーションね──「風花」でも、一時はよく作家とか編集者が直接的に殴りあってました。
坪内 たいてい絓秀実すがひでみさんが流血してる。絓さんって、本人は殴らないんだよ。殴られるまで、とにかく怒らせるの。
福田 ワタクシが最初に「風花」に行ったとき、絓さん、山崎行太郎に殴られてたもん。
坪内 絓さんが殴られるじゃない、それで血だらけになるじゃない。するとね、なぜかいつも島田雅彦さんが居合わせて、その血をハンカチで拭いてあげるの。「島田さん、いつも大変だね」って言ったら、「僕は風花のナイチンゲールです」って。
福田 わははは。
坪内 「風花のナイチンゲール」と言ったよ。

  • VOL.433「あの頃の僕より今のほうが若い──年の取り方もいろいろである」(『SPA!』2011年6月7日号、『不謹慎』収録)

福田 『ユリイカ』で、この映画の特集してるね。編集者によると、『1968』を書いた小熊英二は「時代考証が完璧だ」って言ってたらしいよ。
坪内 『映画芸術』でも、荒井晴彦さんと絓秀実さんが「学生運動のヘルメットのところは比較的よく描かれている」とか言っててさ、ははは。
福田 小熊が言う「時代考証」も、そのレベルなんだと思うけどね。

  • VOL.535「メディアで騒がれなかったけど、こんな凄い人たちも亡くなった」(『SPA!』2013年12月24日号、『羊頭狗肉』収録)

坪内 この人は「俳人」とも書いてあるけど、オレ、現代俳句はほとんど知らないから。そうそう、文芸評論家といえば、オレと福田さんが同時に敬愛する文芸評論家の絓秀実さんと久しぶりに会ったんだよ。絓さん、ブレてないなと思ったのは、「ツボちゃんさ、荒井晴彦の追悼、書いてよ」って言ってきたわけ(荒井晴彦氏はご存命ですが、詳細は『en-taxi』最新号を参照)。絓さん、さすがだよ。
福田 絓さん、一時は本当に死にそうだったからねえ。奥さんに逃げられちゃって、焼きそばとラーメンばっかり食べて。それもインスタントばかり。*2

  • VOL.657「'67年って実はその後に繋がる出来事が多かったんだよね」(『SPA!』2017年1月17・24日号)

福田 (詩人の)絓秀実すがひでみさんの世界だよね。
坪内 戦後のブラジルに〝勝ち組〟と〝負け組〟と呼ばれる人たちがいたでしょう。日本から移民した人たちの中には、「日本が戦争に負けた」ということを信じない人がいて、その人たちが〝勝ち組〟なんだよ。彼らは「日本は負けたんだ」と主張する〝負け組〟の人たちを殺しちゃうんだよね。そうすることで、日本の敗戦を認めなかったわけ。それで言うと、'68年の大学闘争は敗れたはずなのに、絓さんは〝勝ち組〟として勝利宣言し続けてるよね。
福田 絓さんの『LEFT ALONE 持続するニューレフトの「68年革命」』(共著)、あれはすごくいい本だった。
坪内 そういえば、『ゲンロン』って雑誌の「現代日本の批評」って座談会の中で、市川真人がオレのことをディスってるんだよ。絓秀実の『1968年』と坪内祐三の『一九七二』を比較すると、坪内祐三は所詮自分語りであって大きな思想性がない、と。アイツ、いつのまにか早稲田の准教授になってるのに、文字も読めないんだね。1972年には大きな枠が壊れちゃったってことをちゃんと書いてあるのに、そのことが読めないのかね?

  • VOL.675「都民ファーストの会とか、また大量の素人がやってくるのかね」(『SPA!』2017年6月27日・7月4日号)

坪内 寒村は食べ物の話も面白いんだよ。収監されてるとき、月に一度だけ肉じゃがか何かの出る日があって、それが楽しみだったと。アナキストと言えば──最近、絓秀実すがひでみさんを見ないね。
福田 少し前に『アナキスト民俗学 尊皇の官僚・柳田国男』(筑摩選書)って本を出してた。
坪内 ああ、出てたね。『エンタクシー』が休刊になって残念なのは、絓秀実さんと吉田司さんの消息がわかんなくなっちゃったんだよ。『エンタクシー』が出てた頃は、2人に連載してもらってたから、定期的に消息がわかってたんだけど。
福田 まあ生きてるんじゃないの? 

  • VOL.690「「一億総中流」だった日本は理想的な共産主義国家だよね」(『SPA!』2017年11月21日号)

坪内 革命と言えば、最近、絓秀実すがひでみさん(文芸評論家)を見かけないね。生きてるの?
福田 生きてるかどうかわからないけど、今年の春に『アナキスト民俗学 尊皇の官僚・柳田国男』(筑摩選書。共著・木藤亮太)って本を出してたよ。
坪内 絓さんクラスの人だと、亡くなったときに訃報は出るのかね? もし生きてたら、絓さんをゲストに呼んで3人で話そうよ。
福田 ワタクシは絓さん大好きです。
 〔…〕
坪内 そこで不思議なのはゲバラカストロの関係だよね。ゲバラはアルゼンチンの人なのに、カリスマになっちゃったから、カストロも「コイツを消さなくちゃ」と思っただろうし。そうだ、もし絓さんが生きてたら、来年ゲストに来てもらおう。来年は1968年(フランスで五月革命が起き、世界的に学生運動が激化した)から50年で、あの人は〝勝ち組〟なんだよ。太平洋戦争のとき、ブラジルに移民した人たちの中には「日本は勝ったんだ」と信じる〝勝ち組〟の人たちがいて、絓さんも「1968年の革命は成功したんだ」と信じてるからね。
福田 絓さんのなかではね。だから『LEFT ALONE』(絓秀実氏が出演したドキュメンタリー映画)なんだよ。

  • VOL.696「世界中で若者が大暴れしていた'68年の革命は成功? 失敗?」(『SPA!』2018年1月16・23日号)

坪内 その日は何千人と集まったけど、その日じゃなくても、あの頃の新宿はゲバ棒を持った学生が100人とか200人単位でいたからね。ただ、'69年になると安田講堂は陥落しちゃうし、だんだん学生運動は失速しちゃうわけ。そこで、一般的には学生運動は敗北したってことになってるけど、絓秀実さんは「いや、'68年に勝利したからこそ今がある」と。
福田 絓さんファンキーで面白いんだよね。

週刊ポスト』1月26日号「この人に訊け!」/坪内祐三「「フクちゃん」以前はモダンな挿絵画家だった著者を〝発見〟」─末永昭二編『横山隆一』(皓星社

https://www.news-postseven.com/archives/20180117_644035.html?PAGE=1#container
横山隆一 (挿絵叢書4)

*1:『文芸思潮』第67号(2017夏号)掲載の「文芸評論家絓秀実氏に聞く 1968をめぐって──「革命的な」時代と文学」には「僕も学習院でリンチされているんですよ」「一晩ね。僕はさすがに五寸釘は打たれなかったですけど、早稲田の革マルは、二人を、そのうち一人は飯能の山中に連れていって五寸釘をアキレス腱に打って捨てていった。それで這って出てきたという、当時は新聞種にもなりましたけどね」とある。「新聞種」とあるが、毎日新聞1969年5月29日朝刊の「早大の〝内ゲバ〟激化 七人を監禁、リンチ 重傷の一人山林に置去り」という記事には「二十三日朝、反戦連合系のY君(二〇)ら七人が早大一号館内の全共闘本部で寝ていたところ、革マル派の学生多数が小型トラックで乗りつけ、七人を九号館の地下に連れ出した。目隠しをしてしばり上げ、めった打ちしたあげくトラックに乗せ夜になるまで監禁した。/深夜、トラックは七人を乗せたまま埼玉県に向かい、途中一人ずつ車から降ろしてリンチ、最後にY君を飯能市内の山林に連れ込み角材などで全身をなぐり失神させ置去りにして逃げたという。/気づいたY君は、はいずって近くの道まで出て通りかかったダンプカーの運転手に助けられ、近くのM医院に運ばれ、さらに入間市内の原田外科病院に収容されたが、全身打撲で重体。二十八日埼玉県警を通じて事件を知った警視庁は捜査に乗出した。/Y君は目隠しされていたので、途中どこを通っていったか全くわからないといい、一日中リンチを加えられた他の六人も大学に戻ったが、どの程度負傷しているかはっきりせず、大学当局を通じて確認を急いでいる。」とあり、また、読売新聞1969年5月29日夕刊の「続発するリンチ 早大をけさ手入れ」という記事には「一方革マル派は、この報復として、二十三日午前九時半ごろ、約三十人で同大学一号館二階の反戦連合拠点を襲撃し、反戦連合のY君ら数人を九号館地下室に連れ込んで暴行を加えたうえ、Y君から現金三百円とメモ帳を強奪した。さらにY君らを縛りあげて「自己批判しろ」と強要、角材でなぐったうえ、全員を目かくしして、トラックに乗せ埼玉県内まで連れ出し、途中一人一人ほうり出し、最後に残ったY君を飯能市阿須の山中で車からひきずりおろし、カシの棒でメッタ打ちにして置き去りにした。/Y君は、近くの病院に収容されたが、右足骨折、全身打撲、頭部血シュで重傷だという。」とある。「Y君」とは山口峻のことであろうから、革マルに五寸釘を打たれたのは山口氏なのであろう。

*2:絓秀実が編集委員を務めた『演劇誌キマイラ』創刊号(1998年11月22日発行)の「編集部より」には「精神的にも肉体的にもほとんど最悪の夏休みをすごし、割り振られた職責(ごく微々たるものだが)さえ放棄しがちになり」とあり、創刊2号(1999年7月5日発行)の「編集部より」には「本がまともに読めない、芝居や映画館に行くのも腰が重い、もちろん原稿を書く気も起きないといった日々が相変わらず続いている」とある。絓秀実が日本ジャーナリスト専門学校専任講師の職を辞したのは1998年3月のことであるが、福田和也が述べている「奥さんに逃げられ」「一時は本当に死にそうだった」というのは1990年代の終わり頃のことではないかと推測する。