雑誌メモ

文藝春秋』6月号「人声天語」(180)/「某大書店で信じられない言葉を耳にした」

週刊文春』5月17日号「文庫本を狙え!」(980)/田邊園子『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』(河出文庫

伝説の編集者 坂本一亀とその時代 (河出文庫 た 45-1)

 私は坂本一亀の姿を一度だけ見かけたことがある。私が『東京人』の編集者となってひと月ほど、一九八七年十月のことだ。
 元新潮社や平凡社の編集者で当時はフリーの立場で『東京人』の編集を手伝ってくれていたYさんに初めて文壇バーに連れていってもらった。
 新宿五丁目の医大通り沿いにあったH(のち四谷三丁目に移る)だ。
 十人以上坐れるカウンターと小上りが一つで、カウンターの中心には中上健次がいて、彼の一人舞台だった。
 その時、三人組の客が入って来て、中上は気配を消した。
 三人組は小上りで飲み始めた。しばらく経ったら三人組の一番年配の人が、中上、中上じゃないか、と言った。その時の借りてきた猫のような様子を今でも忘れない。
 その年配の人が坂本一亀で、あとの二人は寺田博と当時の『文藝』の編集長だった(後に知ったのだが『文藝』復刊二十五年を記念した坂本・寺田対談の流れだったのだ)。

坪内祐三は8年前にも佐伯一麦との対談(「酒中対談 作家と酒」、『小説現代』2010年10月号)でおなじエピソードを紹介しているが、一部匿名の今回とは違いすべて顕名なので引き写しておこう。

坪内 〔···〕俺は、四谷に越す前の「英」って一度だけ。八七年の秋に『東京人』の編集者になってるから、「英」はたしか八九年に越すんじゃないかな。ギリギリで新宿の頃に間に合ったんだけど、その当時、『東京人』の編集を手伝ってくれていた吉村千穎さんという新潮社や平凡社にいた人と一緒に行って、パッと扉を開けたら、カウンターのところで中上健次が怪気炎をあげていたんだよね。しばらくして、お客さんが来たんだけど、その日が『文藝』の二十五周年記念で、入ってきたのが坂本一亀さんと寺田博さん、その当時の『文藝』の編集長の三人で。「英」には小上がりがあったでしょう。その小上がりのところに三人が座ったら、そのとたんに中上さんの声が聞こえなくなって、あの体が二分の一くらいにシューッとしぼんだわけ。しばらくしたら坂本さんが気づいて「中上じゃないか。こっちに上がれよ」って。そしたら中上さんが、借りてきた猫のように「はい」って答えてね。

高澤秀次は1980年代の終わり頃に「英」のカウンターで中上健次と飲んでいると坂本一亀、寺田博金田太郎ら『文藝』の歴代編集長が入って来たことがあったと書いている。坪内祐三は坂本一亀、寺田博と当時の『文藝』編集長高木有の三人が入って来た書いており、同じ日の出来事かどうか判然としない。
https://kumanodaigaku.com/data/takazawa03.html

週刊文春』5月24日号「文庫本を狙え!」(981)/T・S・エリオット『荒地/文化の定義のための覚書』(中公文庫)

荒地/文化の定義のための覚書 (中公文庫 エ 6-1)

週刊文春』5月31日号「文庫本を狙え!」(982)/刈部山本『東京「裏町メシ屋」探訪記』(光文社知恵の森文庫)

東京「裏町メシ屋」探訪記 (知恵の森文庫 t か 9-1)

週刊ポスト』5月25日号「この人に訊け!」/坪内祐三「「最大の魅力」を文字に感じた言語学者の凄い学習歴」─黒田龍之助『ロシア語だけの青春 ミールに通った日々』(現代書館

http://www.news-postseven.com/archives/20180520_673579.html?PAGE=1#container
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