(15)私の体を通り過ぎていった雑誌たち

私の体を通り過ぎていった雑誌たち

  • 坪内祐三わたしからだとおぎていった雑誌ざつしたち』、新潮社、発行/2005年2月20日
    装画 唐人原教久
    装幀 新潮社装幀室

私の体を通り過ぎていった雑誌たち (新潮文庫)

  • 坪内祐三わたしからだとおぎていった雑誌ざつしたち』、新潮文庫、平成二十年六月一日発行
    カバー装画 唐仁原教久
    挿画 唐人原教久
    デザイン 新潮社装幀室

小学校時代 1965―1971 雑誌が私の学校だった
初めて買った雑誌はど『冒険王』と『少年画報』だ*1
あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい〝総合雑誌〟だった*2
『別冊ゴング』の「ゆずってください」欄に名前が載った*3
『ゴング』の「読者の誌上会見」を毎号熟読玩味がんみした*4
『漫画讀本どくほん』を知ったのはジョン・F・ケネディの暗殺の日だった気がする*5
祖母が愛読していた週刊『TVガイド』*6


中学校時代 1971―1974 いよいよ雑誌にはまっていった
週刊ベースボール』でヤクルトアトムズペピトーンの顔を知った*7
『スクリーン』に載った幻の「荒野の七人」(第四作)の予告*8
生まれて初めて定期購読したのは『キネマ旬報』だった*9
日比谷の不思議な「三角洲さんかくす」で見つけた二つの映画雑誌*10
『平凡』より『明星』の方が垢抜あかぬけていたような気がする*11
昼休みによく相撲をとった私は『相撲』を愛読した*12


高校時代 1974―1977 いわゆる「雑誌の時代」にリアルタイムでドキドキ
出来たばかりのBIGBOXの古本市で買った『COM』のバックナンバー*13
林静一が表紙デザイン担当だった『ガロ』が忘れられない*14
高校一年生にはレベルが高過ぎた『宝島』を何度も眺めた*15
ディランに目覚めて手にした日本版『ローリングストーン*16
『ニューミュージック・マガジン』の内田裕也ゆうやの文章にガツンとやられた*17
一見ミーハーな『ミュージック・ライフ』のインタビュー記事はロックしていた*18
週刊読売』の横尾忠則アヴァンギャルドな表紙*19
エロだけでなく読物も充実していた『週刊プレイボーイ』と『平凡パンチ*20
月刊PLAYBOY 』に日本版「ニュージャーナリズム」を感じた*21


予備校時代 1977―1978 いつのまにか読書家になっていた
いかにして私は文春小僧となりしか*22
実は『面白半分』を愛読していたわけではない*23
時代の新しさに対応していた『本の雑誌』のアマチュアリズム*24
『マスコミひょうろん』から『うわさ眞相しんそう』へ*25


大学時代 1978―1983 チッと思いながらも実は新しいものも好きだった
〝たしかに冬樹社という時代があった〟『50冊の本』*26
『カイエ』『海』『ユリイカ』の三誌鼎立ていりつに何かが始まる予感があった*27
一九七九年の『ハッピーエンド通信』*28
『ブルータス』の読書特集号は読みごたえがあった*29
出版社のPR誌のことも忘れてはいけない*30
現代版『洋酒天国』としての期待にこたえた『サントリークォータリー』*31
「新言文一致」時代のインタビュー誌『スタジオ・ボイス』が新鮮だった*32
就職試験を受ける頃に創刊された『BOOKMAN*33
私は学生ミニコミ誌『マイルストーン』編集部にいた*34


あとがき
解説 群ようこ

*1:小説新潮』2002年2月号、初出題「小学館の学習雑誌で「スポーツマン金太郎」をリアルタイムで読んだ」

*2:小説新潮』2002年3月号、初出題「あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい総合雑誌だった」

*3:小説新潮』2002年4月号、初出題「『別冊ゴング』の誌面構成はハイカラでモダンだった」

*4:小説新潮』2002年5月号、初出題「『ゴング』の「読者の誌上会見」は毎号読みごたえがあった」

*5:小説新潮』2002年6月号、初出題「『漫画讀本』を知ったのはジョン・F・ケネディ暗殺の日?」

*6:小説新潮』2002年7月号、初出題「昭和四十年の週刊『TVガイド』に信じられない人がコラムを執筆していた」

*7:小説新潮』2002年8月号 初出題「『週刊ベースボール』でペピトーンの記事を熱心に読んだ」

*8:小説新潮』2002年9月号、初出題「『スクリーン』一九七二年二月号に載っていた「荒野の七人」第四作の予告」

*9:小説新潮』2002年10月号、初出題「生まれて初めて定期購読した雑誌が『キネマ旬報』だった」

*10:小説新潮』2002年11月号、初出題「「東宝ファンタジ・コーナー」で見つけた二つの映画雑誌」

*11:小説新潮』2002年12月号、初出題「『明星』の一九七二年四月号の座談会に興奮ドキドキした」

*12:小説新潮』2003年1月号、初出題「昭和四十八年の『相撲』の「秋場所展望号」」

*13:小説新潮』2003年2月号、初出題「BIGBOXの古書市で買った『COM』のバックナンバー」

*14:小説新潮』2003年3月号、初出題「林静一が表紙デザイン担当だった一九七四年の『ガロ』」

*15:小説新潮』2003年4月号、初出題「『宝島』一九七四年十二月号に間に合った私は運が良かった」

*16:小説新潮』2003年5月号、初出題「『宝島』よりも前に買った日本版『ローリングストーン』」

*17:小説新潮』2003年6月号、初出題「『ニューミュージック・マガジン』に載った内田裕也ロッケンロールした文章にガツんとやられた」

*18:小説新潮』2003年7月号、初出題「『ミュージック・ライフ』に載ったインタビューはかなりロック﹅﹅﹅していた」

*19:小説新潮』2003年8月号、初出題「昭和五十年四月から八月の『週刊読売』の表紙はアヴァンギャルドだった」

*20:小説新潮』2003年9月号、初出題「今東光の「極道辻説法」は立ち読みするのがもったいなかった」

*21:小説新潮』2003年10月号、初出題「日本版『月刊PLAYBOY』は日本版「ニュージャーナリズム」の推進力だった」

*22:小説新潮』2003年11月号、初出題「私はいかにして文春小僧になりにしか」

*23:小説新潮』2003年12月号、初出題「実は私はリトル・マガジンがあまり好きではなかった」

*24:小説新潮』2004年1月号、初出題「『本の雑誌』に彗星のように現われ彗星のように消えた麒麟児研とは誰か」

*25:小説新潮』2004年2月号、初出題「サヨウナラ『噂の真相』」

*26:小説新潮』2004年3月号、初出題「たしかに冬樹社という時代があった」

*27:小説新潮』2004年4月号、初出題「『カイエ』『海』『ユリイカ』の三誌が鼎立していた頃」

*28:小説新潮』2004年5月号、初出題「『ハッピーエンド通信』は特に一九七九年末の四冊が素晴らしかった」

*29:小説新潮』2004年6月号、初出題「創刊一、二年目の頃の『ブルータス』は、特に読書特集号は素晴らしかった」

*30:小説新潮』2004年7月号

*31:小説新潮』2004年8月号、初出題「PR誌といえば『サントリー・クォータリー』のことを忘れてはいけない」

*32:小説新潮』2004年9月号、初出題「インタビューの時代のインタビュー雑誌といえば『スタジオ・ボイス』だった」

*33:小説新潮』2004年10月号、初出題「就職試験に落ちた頃に創刊された雑誌」

*34:小説新潮』2004年11月号、初出題「学生時代私は『マイルストーン』にいた」