小学校時代 1965―1971 雑誌が私の学校だった
初めて買った雑誌はど『冒険王』と『少年画報』だ*1
あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい〝総合雑誌〟だった*2
『別冊ゴング』の「ゆずってください」欄に名前が載った*3
『ゴング』の「読者の誌上会見」を毎号熟読玩味 した*4
『漫画讀本 』を知ったのはジョン・F・ケネディの暗殺の日だった気がする*5
祖母が愛読していた週刊『TVガイド』*6
中学校時代 1971―1974 いよいよ雑誌にはまっていった
『週刊ベースボール』でヤクルトアトムズのペピトーンの顔を知った*7
『スクリーン』に載った幻の「荒野の七人」(第四作)の予告*8
生まれて初めて定期購読したのは『キネマ旬報』だった*9
日比谷の不思議な「三角洲 」で見つけた二つの映画雑誌*10
『平凡』より『明星』の方が垢抜 けていたような気がする*11
昼休みによく相撲をとった私は『相撲』を愛読した*12
高校時代 1974―1977 いわゆる「雑誌の時代」にリアルタイムでドキドキ
出来たばかりのBIGBOXの古本市で買った『COM』のバックナンバー*13
林静一が表紙デザイン担当だった『ガロ』が忘れられない*14
高校一年生にはレベルが高過ぎた『宝島』を何度も眺めた*15
ディランに目覚めて手にした日本版『ローリングストーン』*16
『ニューミュージック・マガジン』の内田裕也 の文章にガツンとやられた*17
一見ミーハーな『ミュージック・ライフ』のインタビュー記事はロックしていた*18
『週刊読売』の横尾忠則のアヴァンギャルドな表紙*19
エロだけでなく読物も充実していた『週刊プレイボーイ』と『平凡パンチ』*20
『月刊PLAYBOY 』に日本版「ニュージャーナリズム」を感じた*21
予備校時代 1977―1978 いつのまにか読書家になっていた
いかにして私は文春小僧となりしか*22
実は『面白半分』を愛読していたわけではない*23
時代の新しさに対応していた『本の雑誌』のアマチュアリズム*24
『マスコミひょうろん』から『噂 の眞相 』へ*25
大学時代 1978―1983 チッと思いながらも実は新しいものも好きだった
〝たしかに冬樹社という時代があった〟『50冊の本』*26
『カイエ』『海』『ユリイカ』の三誌鼎立 に何かが始まる予感があった*27
一九七九年の『ハッピーエンド通信』*28
『ブルータス』の読書特集号は読み応 えがあった*29
出版社のPR誌のことも忘れてはいけない*30
現代版『洋酒天国』としての期待に応 えた『サントリークォータリー』*31
「新言文一致」時代のインタビュー誌『スタジオ・ボイス』が新鮮だった*32
就職試験を受ける頃に創刊された『BOOKMAN』*33
私は学生ミニコミ誌『マイルストーン』編集部にいた*34
あとがき
解説 群ようこ
*1:『小説新潮』2002年2月号、初出題「小学館の学習雑誌で「スポーツマン金太郎」をリアルタイムで読んだ」
*2:『小説新潮』2002年3月号、初出題「あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい総合雑誌だった」
*3:『小説新潮』2002年4月号、初出題「『別冊ゴング』の誌面構成はハイカラでモダンだった」
*4:『小説新潮』2002年5月号、初出題「『ゴング』の「読者の誌上会見」は毎号読みごたえがあった」
*5:『小説新潮』2002年6月号、初出題「『漫画讀本』を知ったのはジョン・F・ケネディ暗殺の日?」
*6:『小説新潮』2002年7月号、初出題「昭和四十年の週刊『TVガイド』に信じられない人がコラムを執筆していた」
*7:『小説新潮』2002年8月号 初出題「『週刊ベースボール』でペピトーンの記事を熱心に読んだ」
*8:『小説新潮』2002年9月号、初出題「『スクリーン』一九七二年二月号に載っていた「荒野の七人」第四作の予告」
*9:『小説新潮』2002年10月号、初出題「生まれて初めて定期購読した雑誌が『キネマ旬報』だった」
*10:『小説新潮』2002年11月号、初出題「「東宝ファンタジ・コーナー」で見つけた二つの映画雑誌」
*11:『小説新潮』2002年12月号、初出題「『明星』の一九七二年四月号の座談会に
*12:『小説新潮』2003年1月号、初出題「昭和四十八年の『相撲』の「秋場所展望号」」
*13:『小説新潮』2003年2月号、初出題「BIGBOXの古書市で買った『COM』のバックナンバー」
*14:『小説新潮』2003年3月号、初出題「林静一が表紙デザイン担当だった一九七四年の『ガロ』」
*15:『小説新潮』2003年4月号、初出題「『宝島』一九七四年十二月号に間に合った私は運が良かった」
*16:『小説新潮』2003年5月号、初出題「『宝島』よりも前に買った日本版『ローリングストーン』」
*17:『小説新潮』2003年6月号、初出題「『ニューミュージック・マガジン』に載った内田裕也のロッケンロールした文章にガツんとやられた」
*18:『小説新潮』2003年7月号、初出題「『ミュージック・ライフ』に載ったインタビューはかなり
*19:『小説新潮』2003年8月号、初出題「昭和五十年四月から八月の『週刊読売』の表紙はアヴァンギャルドだった」
*20:『小説新潮』2003年9月号、初出題「今東光の「極道辻説法」は立ち読みするのがもったいなかった」
*21:『小説新潮』2003年10月号、初出題「日本版『月刊PLAYBOY』は日本版「ニュージャーナリズム」の推進力だった」
*22:『小説新潮』2003年11月号、初出題「私はいかにして文春小僧になりにしか」
*23:『小説新潮』2003年12月号、初出題「実は私はリトル・マガジンがあまり好きではなかった」
*24:『小説新潮』2004年1月号、初出題「『本の雑誌』に彗星のように現われ彗星のように消えた麒麟児研とは誰か」
*25:『小説新潮』2004年2月号、初出題「サヨウナラ『噂の真相』」
*26:『小説新潮』2004年3月号、初出題「たしかに冬樹社という時代があった」
*27:『小説新潮』2004年4月号、初出題「『カイエ』『海』『ユリイカ』の三誌が鼎立していた頃」
*28:『小説新潮』2004年5月号、初出題「『ハッピーエンド通信』は特に一九七九年末の四冊が素晴らしかった」
*29:『小説新潮』2004年6月号、初出題「創刊一、二年目の頃の『ブルータス』は、特に読書特集号は素晴らしかった」
*31:『小説新潮』2004年8月号、初出題「PR誌といえば『サントリー・クォータリー』のことを忘れてはいけない」
*32:『小説新潮』2004年9月号、初出題「インタビューの時代のインタビュー雑誌といえば『スタジオ・ボイス』だった」