- 01(1985.01) 『チャンドス卿の手紙』から『バラの騎士』へ
- 02(1985.02) ヴァーミリオンサンズの光
- 03(1985.03) ラヴェルの歌 今回はフランス語のお勉強をかねて···
- 04(1985.04) アンチ・ディーヴァ カストラートの夢
- 05(1985.05) ニューヨーク日記から
- 06(1985.07) ビリティスの歌 再びフランス語のお勉強をかねて
- 07(1985.08) スクリアビンのエクスタシー
- 08(1985.09) ヴェネツィア──浮かぶ劇場
- 09(1985.11) 禿の女歌手──ブリジット・フォンテーヌ
- 10(1985.12) 彗星の交叉 シュヴァルツコップ/グールド
- 11(1986.01) 37分1秒のオルガスム セルジュ・オン・ザ・ビート
- 12(1986.02) 電子のコラージュ トレヴァー・ホーン/ZTTのメディア戦略
- 13(1986.03) 冬の日に聴く、メランコリックな〈涙〉。
- 14(1986.05) 冬のライオン
- 15(1986.06) アキテーヌの春 アリエノールと歌人たち
- 16(1986.07) 音楽の日記から
- 17(1986.08) 音楽の日記から
- 18(1986.10) 二つのセバスチャン 旅の日記から
- 19(1986.11) 音楽の日記から
- 20(1986.12) 豊饒と禁欲
- 21(1987.01) ブーニンの悲惨 ポゴレリッチの栄光
- 22(1987.03) グレース・ジョーンズ 快楽の戦闘機械
- 23(1987.04) シノーポリ マーラー フロイト
- 24(1987.07) 旅の日記から フランケンシュタインの影のもとで
- 25(1987.08) ディケイ・ムーヴィーズ
- 26(1987.09) もうひとつの声 デリダ・グラモフォン
- 27(1987.10) ディドロのクラヴサン
- 28(1987.12) 永遠回帰の音楽
- 29(1988.01) ルーとアルマ
- 30(1988.03) 進むべき道はない、だが進まねばならない*1
- 31(1988.04) ローマ、パリ、ベルリン
- 32(1988.06) ワーグナー・オン・TV
- 33(1988.07) スクリーン上のワーグナー
- 34(1988.09) アポロニアン・エクスタシー
- 35(1988.10) 超人レッスン
- 36(1988.11) もう1人のアンチ・ディーヴァ
- 37(1988.12) 永遠に女性的なるもの······
- 38(1989.01) 西欧の没落 ラヴェル/ベジャール
- 39(1989.02) マレーネの〈否〉
- 40(1989.03) 旅の日記から
- 41(1989.04) ピンチョンを待って ローリー・アンダーソンと〈重力の天使〉
- 42(1989.05) クリスタルと古陶 キーシン/カラヤン/ホロヴィッツ
- 43(1989.07) 眼の散歩
- 44(1989.08) 散逸と集中 高橋悠治とソフィヤ・グバイドゥーリナ
- 45(1989.09) マラルメをめぐる
応誦 - 46(1989.10) 大いなるデカダンの死
- 47(1989.11) マリエリスムの世界
- 48(1989.12) 二つのワーグナー シノーポリ/カラヤン
- 49(1990.02) 歌──世紀末へ 坂本龍一/ローリー・アンダーソン
(『マリ・クレール』掲載)
浅田 「スーパーエディター」こと安原顕が死んだね。肺癌で余命一ヵ月と告知されたことを公表して、最後までネット上で日記を書いたりしてた。彼らしい死に方だったと思うよ。僕は、彼が中央公論社の出してた「海」っていう異色の文芸誌にいたときから付き合いがあって、「マリ・クレール」に異動させられてから「スキャンダラスな午後」っていう訳のわからないタイトルで音楽エッセーの連載を頼まれた、それが僕が音楽について書き始めたきっかけなんだよね。そしたら同時に田中さんの「たまらなく、アーベイン」っていう連載も始まってた。田中さんの連載はあとで本にまとまったけど、僕は怠惰だからほったらかしたまま。安原顕が生きてるあいだに本にしとけばよかったと思うよ。
❝連載 第7回「続・憂国呆談」番外編Webスペシャル(浅田彰 田中康夫『「ニッポン解散」 続・憂国呆談』)❞