樋口修吉『銀座ラプソディ』

主人公・野呂康介≒作者・樋口修吉(1938-2001)の自伝的小説、放蕩記。野呂がティーンエイジャーの頃から、1981年に大手出版社の懸賞小説(『ジェームス山の李蘭』で第36回小説現代新人賞)を受賞するまでの時期に、出会い付き合った人物の肖像が主に銀座を舞台にして描かれる。
話の特集』に1986年1月号から1987年6月号まで14回に渡り連載される。『話の特集』連載当初のタイトルは「放蕩記」で、連載七回目からタイトルが「銀座ラプソディ」に変更。第四回「少年期」と第五回「おやじとおふくろ」は単行本化時に削除。

  • 第一話 料亭の息子たち

赤坂檜町の料亭「花村」の息子、兄・花村春夫と弟・花村秋夫が女遊びや睡眠薬中毒、バクチ中毒で破滅する話。春夫は野呂の二歳年下。秋夫は野呂の四〜五歳年下で、大学の後輩。

  • 第二話 キーちゃんとスージー

キーちゃんは山本権兵衛の孫娘。村松友視が『薔薇のつぼみ 宰相・山本権兵衛の孫娘』で描いた山本満喜子には、妹に喜美子がいるから、この人物が「キーちゃん」かと推測する。
スージー東久世壽々子。先祖(たぶん曽祖父)には東久世通禧がいる。
野呂は三田の大学(慶應大学)時代に演劇研究会に所属しており、その二年先輩に草刈龍平(草刈民代の父)がいて、この先輩を通じてキーちゃん、スージーと知り合う。
一挿話として、キーちゃんと幼い頃からの知り合いである三島由紀夫に三度会う話が描かれる。三島の描き方は辛辣で、例えば『鏡子の家』について「作者本人と同様にそらぞらしく感じ」られるとか、自決の報に接した時の感懐として「康介はまったくおどろかなかった。この世の中にないものねだりをして、実の世界に虚の部分をなんとか持ちこもうとしている青白い男というふうに三島さんのことを理解していたからだ」と記す。

この第三話は少年時代の一時期を過ごした小倉や大学浪人時代に遊んだ横浜が主な舞台。友人の石炭屋の次男坊クンちゃんの従兄で、野呂より一回り以上年上のヤクザのポンちゃんこと嘉充さんが描かれる。ポンちゃんは1983年8月に死去。

  • 第四話 チロルのボコさん

銀座のブティック「チロル」の共同経営者兼デザイナーのボコさんこと高山二郎の話。ボコさんは野呂より二十数歳年上で法政大学出身、1979年頃死去。ボコさんの娘は六大学野球応援初のバトンワラー、高山藍子。野呂は学生時代に「チロル」の服を愛用し、そのうち店を手伝うようにもなる。当時のチロルの客には「麻生タロウ、ジロウを始めとする学習院の大学生」という記述がある。太郎は元首相、次郎は学習院大学四年の1964年3月20日にヨットが沈没し二十二歳で夭逝。
「チロル」が1955年に新規オープンした当初からの従業員にイッちゃんこと市村明(1934年生まれ)がいて、彼はその後1961年にできた「チロル」の自由が丘支店を任される。銀座「チロル」の常連客であった伊丹十三とは親友になり、1963年公開の伊丹初監督作「ゴムデッポウ」では主演をつとめたそうな。また「チロル」の客であった村島健一とも知り合う。イッちゃんが村島の息子(日興シティグループ証券エコノミスト・村嶋帰一か?)に「スキーの手ほどきをしてあげたという程度の縁なのに」、イッちゃんの仲人をつとめ、茅ヶ崎の亡父(坪内祐三の紹介でも知られる村嶋歸之)の旧居をタダで七年にわたり貸してくれたという。

  • 第五話 平塚ファミリー

野呂が学生時代にアルバイトをしていたトーキョーインテリアという室内装飾の会社の社長・平塚迪夫の話。「チロルを手伝っていたときに知り合ったスキー狂の姉弟のお兄さん」が平塚迪夫であったという。迪夫さんは野呂の七歳年上で大学の先輩。迪夫さんの祖父・平塚福太郎は土建屋・平塚組の二代目で、本牧花屋敷をつくった人物。叔父は童話作家平塚武二。「スキー狂の姉弟」の姉は嬉子といい、夫はジャズ・ベーシストの原田政長。

  • 第六話 カナユニの主人

ヨコちゃんこと横田宏の話。野呂と同年生まれで、立教大学出身。若き日はトップ・ボウラー。その後、1966年に元赤坂でレストラン「カナユニ」を開店し、オーナー。

モリースこと兄・沼部光延とガンボこと弟・沼部俊夫の話。モリースは野呂と大学同期。大学卒業後は三菱地所に入社。その後、独立し各種事業に乗り出す。ガンボは1941年生まれで、武蔵大学出身。学生時代にバンド「ドンキーメン」を結成し人気を博す。卒業後は現在のテレビ東京に入社。「ヤンヤン歌うスタジオ」「鉄矢の泣いて笑って武者修行」などを手がけ、その後、テレビ東京の子会社インターFM代表取締役社長をつとめた模様。

  • 第八話 キズの親子

木津としい、木津丈二親子の話。としいは1917年生まれで、ダンスホールのダンサーやナイトクラブのホステスとして働く。丈二は1937年生まれで法政大学出身。バージョージのバーテンダーとして働く傍ら、ジャズ歌手として活動。

  • 第九話 応援団長ギンジ

田村町キムラヤの息子で、慶應高校・大学で応援団長をつとめたギンジこと大塚欽司の話。野呂とは大学同期。長尾三郎が『神宮の森の伝説 六〇年秋、早慶六連戦』で描いた早慶戦時の応援団長であった。ボコさんの娘・高山藍子(慶應女子高二年)を六大学野球応援初のバトンワラーとして登場させたのがギンジであるという。卒業後は現在のリコーに入社。その後、田村町キムラヤを継ぐ。

  • 第十話 畑中ブラザース

古美術商・畑中商店の三兄弟、畑中昭彦(1941年生まれ)、畑中俊彦(1944年生まれ)、畑中正彦(1947年生まれ)の話。三人とも野呂の大学の後輩。バチュウこと昭彦は新生堂という画廊を経営。俊彦はクリスティーズ・ジャパン顧問や日本マルボロー画廊取締役。正彦は、高峰秀子が趣味で始め、父・畑中栄が高峰と懇意にしていたため畑中商店が経営を引き受けていたアンティーク専門店ピッコロモンド(新国際ビル一階)を経て、畑中商店を継ぐ。

  • 第十一話 相棒シモン  

野呂が商社マン(三井物産)の道から逸脱し、相棒のシモンこと高野資門と共にバクチで身を持ち崩す話。シモンは野呂と同年生まれで、法政大学卒業後、富士フィルムに入社。その後、志門堂という小さな広告代理店を銀座六丁目の裏通りで経営。仕事は暇なのでギャンブルに精を出している人物。

  • 第十二話 エピローグ

バクチで身を持ち崩した野呂は、大学時代の下宿先で知り合った二歳年上のハルオさんが大阪郊外で経営する書店で住み込みで働き、ハルオさんの蔵書を読みあさる。その時分に色川武大(『怪しい来客簿』)と富士正晴(『竹内勝太郎の形成 手紙を読む』)の作品に開眼させられ、自らの半生を文章にしてみたいと考える。書き上がった原稿が甘い個所だらけであったため、自身をいじめるために百科事典の行商をする大阪の会社で一年少し働く。その期間に原稿を推敲し、削り込んで完成した八十枚の小説を新人賞に応募し受賞する。受賞内定通知を貰った野呂は1981年早春、東京に帰還する。受賞小説『ジェームス山の李蘭』の主人公名・八坂葉介は富士の『贋・久坂葉子伝』から採られた。
最後に「第一話から第十一話までの登場人物の近況」が紹介されしめくくられる。

  • 文庫にあたってのあとがき
  • 解説―憧憬の銀座 沢野ひとし

この『銀座ラプソディ』は嵐山光三郎の『口笛の歌が聞こえる』に似た部分がある。樋口は1938年生まれで嵐山は1942年生まれ。共に作者の若き日を扱った自伝的小説で、東京の街が舞台であり、数々の有名無名含んだ魅力的人物と交流する主人公はそれぞれ康介と英介。共に主人公が三島由紀夫と出会う場面が描かれるが、三島に対し辛辣である(『口笛の歌が聞こえる』では「三島由紀夫は小男だった」「三島由紀夫はガラス細工だった」「靴で、頭をたたけば、たちまちこなごなに砕けそうな肉体だった」)。また共にヤクザと喧嘩する場面があり、知人がヤクザに殺されるのも共通している。
『銀座ラプソディ』は福田和也が激賞している作品で、『罰あたりパラダイス 完全版』VOL.185「溌剌と、冷徹に。遊び人の滅びの様を描いた樋口修吉、街の誘惑と深淵を知る粋人が逝く」では「日本の都市文学の歴史を塗り替えた」と記している。『贅沢な読書』の第五章「甘美な場所で―ほろ酔い本」でも『銀座ラプソディ』が紹介されている。『en-taxi』vol.21の特集「銀座のダブルクロス」には福田の「銀座レクイエム」という文章が掲載されているが、『en-taxi』の福田の文章ではおなじみだが、銀座での見聞記的(紀行文的)文章と『銀座ラプソディ』からの引用が交互に配されている。この文章では樋口修吉の幻影と会話したりする。また再録小説として「第一話 料亭の息子たち」が掲載されている。