高見順『いやな感じ』

私家版『いやな感じ』は高見順未亡人・高見秋子が、「高見順二十回忌追悼記念」として没後19年目の祥月命日(1984年8月17日)に、「文藝春秋の御好意で」刊行したものである。1984年6月に刊行された文春文庫版と判型、版面は同一であり、装丁が変えられている。
奥附は下記。

いやな感じ
昭和五十九年八月十七日
高見順二十回忌追悼記念
刊行者 高見秋子
神奈川県鎌倉市山の内六三三

『いやな感じ』は全四章で構成されている。主人公であり語り手の加柴四郎が戦後のある時点(初出は『文學界』1960年1月号〜1963年5月号)から戦前のテロリスト時代を回想する体裁である。

連載時の各回タイトルは下記。

魔窟の女 1960年1月号
支那浪人 1960年2月号
黑い戀 1960年3月号
黃色い血 1960年4月号
コップの液體 1960年5月号
砂むぐり 1960年7月号
思想落後 1960年9月号
東北革命軍 1960年10月号
若い不能 1960年12月号
投爆者 1961年1月号
とろげんの女 1961年2月号
京城の猫 1961年3月号
のら犬 1961年4月号
枝豆くさい指 1961年5月号
殘虐の魅力 1961年6月号
豚箱の羅漢 1961年7月号
精神のめまへ 1961年8月号
水の上 1961年9月号
生への狼狽 1961年10月号
北の果て 1961年11月号
脫皮の季節 1961年12月号
平凡の喜び 1962年1月号
ヨーヨーの頃 1962年2月号
血の臭へ 1962年3月号
白い空間 1962年4月号
戰爭好き 1962年5月号
銃殺前後 1962年6月号
五館の天下 1962年7月号
痛快な破壞 1962年8月号
公然の暗殺 1962年10月号
修指甲 1962年11月号
保險的背心 1962年12月号
沙發の照子 1963年2月号
過去の中の現實 1963年3月号
最終囘 1963年5月号

各章で扱われる年代は下記。

第一章 1927年
第二章 1930〜31年
第三章 1931〜37年
第四章 1938年

登場人物

  • 加柴四郎(1906-)

アナーキスト、テロリスト。詩人としての名は野中薫。

1922-3年 
中学4年次に大杉栄の著作を読み感銘を受ける。
1923-4年 
中学5年次に砂馬と出会いアナーキスト系テロリスト・グループ(モデルはギロチン社か)の仲間に入る。
1924年 
軍人による大杉殺害の報復として策した福井大将暗殺計画に加わるが、中途で砂馬と共に除外される。同志2人は死刑になる。
1927年 
私娼のクララに夢中になり身請けしようと奔走するが、淋菌をうつされた上に情夫の朝倉と共に逃げられる。丸万の紹介で斎田と出会い、斎田邸で北槻と知り合い、後に同志となる。
1931年 
「三月事件」で投爆班の一員になるが計画は不発に終る。7月に朝鮮に渡り京城で尾垣朝鮮総督の暗殺を企てるが、斎田から電報で呼び戻され不発に終る。波子と共に東京に帰還。「十月事件」に三下として参画するが、実行日前夜に検挙され、留置場に29日間入れられる。留置場でアビルと知り合う。浅草の焼酎屋でオカマのロクと出会い、彼に連れられて行った船上の花札賭博場で「後手に縛られた男」絞殺。アビルの弟が住む根室に波子と共に逃亡。
1932年 
釧路の金原に会いに行く。
1933年 
志奈子誕生。朝倉が来訪し、矢萩と根室の宿屋で会う。六郎危篤の電報を受け一家で東京に帰還。夏頃、肺結核で喀血し、1936年2月頃まで療養。
1938年 
上海に渡る。北四川路のカフェーでクララと11年ぶりに再会*1。愚園路のナイト・クラブで「四・五・六のロク」銃殺。北四川路のカフェーで矢萩大蔵銃殺。従軍する風巻の連絡員として赴いた前線で支那人捕虜斬殺。

  • 波子(1910-)

京城の日本宿の女中として加柴と知り合い、事実上の妻となる。新平民。

  • 志奈子(1933-38)

加柴と波子の娘。川に落ちて逝去。

  • 六郎(-1933)

加柴の父親。四の橋の鋳物屋。

  • 五郎

加柴の兄。

  • 三郎

加柴の異母弟。

  • 静枝

五郎の妻

  • 二郎(1931-)

五郎と静枝の息子。

  • 砂馬慷一(1900-)

福井大将暗殺計画に参じたアナーキストから、リャク屋になる。後に支那浪人。モデルは児玉誉士夫(という佐々木基一の説も)。

映画女優。砂馬の妻。

  • 瀬良照子(1909-)

別名・クララ。猪沢の娘。玉の井の銘酒屋の私娼として加柴と出会う。情夫の朝倉と逃げ阿寒湖の遊興街で私娼になる。上海では北四川路のカフェーのマダムであり、矢萩の妾。

玉の井の銘酒屋の私娼。

  • マリちゃん

玉の井の銘酒屋の私娼。

  • 猪沢市太郎(-1937)

支那革命援助者から支那浪人。瀬良の父。賭館の縄張り争いで矢萩大蔵に殺される。

  • 斎田慷堂(1875-1937)

支那革命援助者。モデルは北一輝二・二六事件連座し死刑。

  • 玉塚英信

詩人、小説家。モデルは作者・高見順

  • 梶川悲堂(-1938)

自由民権論者から支那革命援助者。支那メシ屋。

  • 北槻中尉[大尉](-1936)

斎田、真木に親炙。二・二六事件に参加し死刑。モデルは磯部浅一か。

  • 丸万留吉(-1938)

アナーキストからコムミュニスト。旋盤工からリャク屋を経て露天商になる。上海の領事館警察に捕まり、自殺。

  • 重野

大学生崩れのボル派の組合のオルグ。上海の領事館警察に捕まる。

  • 百成清一郎(-1938)

別名・アビルあるいは羅漢。元アナーキスト。真二郎の兄。無銭飲食で入った留置場で加柴と知り合う。浅草で大道易者、上海で情報屋。おそらく、矢萩の子分に銃殺される。

  • 百成真二郎

根室の網元。右翼。清一郎の弟。綾子との間の息子は実は清一郎と綾子の間の子。

  • 百成綾子

アナーキスト時代の清一郎が札幌で付き合っていた女で、真二郎の女房になる。後、上海に渡り清一郎と共に暮らす。

  • 金原

清一郎と共に札幌でアナーキストとして暴れ、後に根釧原野の開拓農民。上海に渡り支那浪人になる。

  • 朝倉

矢萩の子分から砂馬の子分になる。瀬良の情夫。矢萩大蔵に殺され、樽に詰められて日本の砂馬邸に送られる。

  • 若紫

吉原のおいらん。支那慰安所の女将。

  • 風巻

新聞社特派員。

  • 帆住博士(-1938)

帝大法学部教授。セツルメント運動の信奉者。モデルは穂積重遠。穂積は1951年に死去しているが、帆住は実際に帝大セツルメントが解散した1938年に死去した設定。

  • 矢萩大蔵(-1938)

支那浪人。佐分利公使怪死事件をモデルとした駐支総領事怪死事件の犯人。張作霖爆殺事件に呼応した奉天での爆破事件に加担。加柴に殺害される。

  • オカマのロク

元は宮戸座の女形。矢萩の子分。

  • 四・五・六のロク

砂馬の子分。加柴に殺害される。

  • 福井大将

モデルは福田雅太郎。加柴、砂馬が計画に関わった福井大将狙撃事件は福田大将狙撃事件がモデル。

  • 尾垣大将

モデルは宇垣一成

  • 長田哲山

モデルは永田鉄山

  • 真木大将

モデルは真崎甚三郎。

  • 南一光

モデルは北一輝二・二六事件連座し死刑。

  • 小川秋明

モデルは大川周明

*1:「第四章 その四 保険的背信」に「あれから十年経っている」「十年も会ってないのだ」「十年ぶりだ」とあるが、11年ぶりではないのか。それとも正味約10年ということなのか。