花田清輝のドメスティック・バイオレンス

花田黎門「花田清輝とその妻トキ」(『新日本文学』2004年1月号, pp.73-74)

 外で暴力を振るうことはなかったが、家庭では今で言う家庭内暴力の気があったと思う。気に入らないことがあるとちゃぶ台をひっくり返したり、灰皿を投げたりすることが多々あった。原町の家の天井にはこのとき飛び散った味噌汁の跡が最近取り壊すまで残っていた。こういう時の清輝はまったくわがまま一杯に育てられたお坊ちゃんという感じだった。福岡の花田家には他に男子がいたが、若くして死んだので、清輝が跡取りとしてタネに大事にわがまま一杯に育てられたようだ。ただこの死んだ男子が清輝の兄弟だったのか、タネの兄弟だったかは不明である。
 私も理由は忘れたが棒を振り回す清輝に庭の隅に追い詰められた記憶があるし、トキが蹴られたとわき腹を押さえていたことも一度や二度ではなかった。
 もう別れたらと言ったようにも思うのだが、トキは「仕事に一生懸命だからねぇ。見捨てるわけには行かないよ」と語っていた。
 ただこういう暴力を振るった次の日は、悪かったと思うらしくて、我々にやたらに優しくなるのである。あるときは神田日活(今はタキイ)の隣のレストランで分厚いヒレカツをご馳走してくれたことがあった。「ゆっくり食べなさい」とこういうときは実に優しかった。