週刊誌メモ

『SPA!』12月18日号「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」/「国防産業と社会との関わりはもっと深くて複雑な問題だ」

福田は学生時代にハイデガーをライバルに据えていたという。
最後の方で福田は娘が20歳であると発言しているが、福田の娘は1987年度生まれ、息子は1991年度生まれである(福田の文章から計算できる)。1987年は『奇妙な廃墟』を執筆しつつ、父(『「内なる近代」の超克』の最初に「父 雅太郎に捧げる」と名が記されている、)の経営する家業の(株)福田麺機製作所で働いていた頃であり、1991年は3月に「虚妄としての日本」を『新潮』に発表、8月に論壇デビュー作たる『遥かなる日本ルネサンス』を文藝春秋から上梓、9月に「生成する日本」を『新潮』に発表した年である。「虚妄としての日本」と「生成する日本」は後に手直しされて、文壇デビュー作『日本の家郷』に収められた力作だ。駆け出し時代に子供を二人ももうけているのは自らの才に対する確信故であろうか。『奇妙な廃墟』の謝辞には「最後に、ドイツ哲学、文学関係について疑問に答えてくれたばかりでなく、日常生活のうえでも協力してくれた妻の弘美に感謝したいと思います」とある。やはり20代の若者としての不安があったと見るべきであろうか。その不安が29歳の若き批評家に、妻への謝辞を公にせしむる高ぶりを齎したのではなかったか。以前『週刊新潮』2003年12月18日号の「福田和也の闘う時評」で桐野夏生『グロテスク』を論評した際、「私、個人としては、作中の「Q学院」出身の女性に身辺を固められている」と記しているので、「Q学院」が慶應義塾女子高等学校をモデルにしていることからみて、福田の身内の女性に慶應義塾女子高等学校の関係者が多くいるということであろうが、その身内とは娘と妻であると見做すべきで(『グロテスク』が刊行された2003年6月時点で娘は高校一年生)、上記の記述から妻弘美は慶應義塾大学の独文学専攻を卒業したと推測出来、おそらく同じ学部の縁で福田と知り合ったのであろう。ともかく、ちくま学芸文庫版『奇妙な廃墟』所収の「文庫版あとがき」は福田和也の本来的上品さを湛えた随一の名文である。