『グロテスクな日本語』について

洋泉社から1995年10月20日初版発行された『グロテスクな日本語』(担当編集者は秋山洋也だが、この人洋泉社から新潮社に移籍したみたいだ)は100冊を越す福田和也の著作の中で、おそらく『日本の家郷』と並んで希少価値の高い書物ではないだろうか。1993年の『日本の家郷』は福田の文壇デビュー作であり(1993年以前の二著1989年の『奇妙な廃墟』・1991年の『遥かなる日本ルネサンス』、前者はアカデミックな著作、後者は論壇デビュー作)、三島由紀夫賞受賞作なので著者略歴にもよく紹介されており、希少価値は高くとも、よく知られている。しかし『グロテスクな日本語』は希少価値が高い上にその存在が福田和也の著作中、1994年の『「覚悟」のない出発』と共に最も知られていない書物だろう。希少価値といったところで、内容が伴わなければ希少ではあっても価値はない、とするなら、この『グロテスクな日本語』が価値を有するのは、その対象領域が多岐にまたがり(実際、初出誌紙は23媒体にものぼる)、福田のディレッタントぶりが際立って発揮されていること、そして初期の雑文集ゆえ文章には生気が満ち活力が逆巻き緊張が漲っているからである(それにしても90年代あたりまでの福田は座談会で妙に喧嘩腰だ)。『ニッポンの知識人』の福田の項には「福田和也とは何者か。一番手っ取り早く知りたい向きには、『グロテスクな日本語』(洋泉社)がお薦めである。とくに、セリーヌをめぐるインタヴュー(「憎悪と汚辱」)がとても素敵だ」という(宮崎か高澤か絓による、私見では宮崎による)記述があり、たしか『STUDIO VOICE』2006年12月号の「特集 CUT UP 90's 「90年代カルチャー」完全マニュアル!」のなかで、佐々木敦三田格かもしれない)は90年代の文学作品を三冊選ぶようなアンケートに『グロテスクな日本語』を挙げていて、この書物を福田の幅の広さを示すものとして称揚していた(小島信夫漱石を読む』と百川敬仁『日本のエロティシズム』も同時に選んでいた、記憶あり)STUDIO VOICE』2006年3月号の「第二特集 批評本のリアル・マップ」のなかで、佐々木敦は「ここから始まる、批評の新次元! 重要批評ブック・リスト」で『グロテスクな日本語』を選んでいて、この書物を福田の幅の広さを示すものとして称揚していた(他に小島信夫漱石を読む』と『ゴダール全集4 ゴダール全エッセイ集』と丹生谷貴志『光の国』を選んでいる。百川敬仁『日本のエロティシズム』を選んでいたのは三田格であった)。ともかくこの書物は福田の文筆家としての特性をよく顕しており、90年代以降を代表する批評家福田和也を知る上で欠かすことが出来ない、と私は思うのだ。ちなみに『日本の家郷』は800円で、『グロテスクな日本語』は475円で入手した。

                       
帯文

「道徳の奴隷」たちへ
“新世代の酒乱ファシスト”・福田・・・じゃなかった、
“気鋭の保守反動論客”・福田和也が、
グロテスクなこの国の社会、政治、文化状況、音楽、
ブンガク、などなどを、喧嘩腰で縦横に論じる。
汚辱にまみれたヒヒョー集成、
世間様の顰蹙を顧みず刊行を敢行パンクス・ノット・デッド!! (?)


                       
目次

Ⅰ この国のスガタ

  • 孤立と直面する矜持*1
  • 八月十五日もうひとつの意味
  • 「戦争協力」は罪か*2
  • 「くに」というトポス
  • 〝仏核反対決議〟とシラク歴史認識の落差*3
  • 村山政権に「やさしい」マスコミの共犯性*4
  • コメと憲法天皇*5
  • 日本共産党は「正しい」*6
  • 北朝鮮では何が脅かされているのか*7
  • 日本人


Ⅱ 文化の終焉

  • 白人の「日本人論」をありがたがるな*8
  • 現代における日本の「家族」像
  • 男性論無用論*9
  • アナキズムとは政治よりすぐれて芸術的、文化的運動であった
  • 今なぜ70年代がリヴァイヴァルされるか
  • 山王倶楽部の議論からダイナミックな文化の発生をめざす


Ⅲ 上手な酒の飲み方など私に講釈しないでくれ

  • 風雅の生活に活字を奉仕させる*10
  • イマジン
  • ショット・グラス一杯分の真実*11
  • 緋色王の帰還
  • サウンド・オブ・ミュージック?*12
  • マイナス・アワーズ*13
  • 上手な酒の飲み方など私に講釈しないでくれ*14
  • 三十歳以上を信じるな
  • コレクターのエゴを見る楽しみ*15
  • 芸術の沈滞を打ち破る陶芸の魅力とは?*16
  • 八十歳の丘
  • 明日泣く
  • バブル崩壊後のワイン・ライフ
  • 『清貧の思想』はポスト・バブルの聖書か?*17


Ⅳ グロテスクな日本語へ


Ⅴ 猿の耳に鳴っている音

  • パンク世代なんて日本にはいない
  • ビートルズはカヴァーが一番
  • タランティーノの音に対する趣味の深さに脱帽
  • REMの『モンスター』はこれからの出口のない争いを予感させる
  • NOKKOのハイトーンが巻き起こす奇跡*26
  • 自主レーベルという舞台で爆発した鈴木博文のエネルギィ
  • カリスマのCD化
  • 「道徳の奴隷」に唾吐く黄色い猿*27
  • ブルセラ女子高生と中島みゆきオジサン*28
  • そしてみんなカタギになった*29
  • ガイキチを駆逐する?几帳面なポップス*30
  • THE BOOMのキモチワルサの正体は?*31
  • 森高が音楽をやっているというリアリティ*32
  • 無神経な〝去勢系〟アーチストにはウンザリする*33


本狩り二〇番勝負

  • 「オタク」の情報には普遍性がある―●小林信彦オヨヨ大統領」シリーズ
  • 偏執としての左翼は興味深い―●松下竜一『怒りていう、逃亡には非ず』
  • 浮世を凝視した数少ない現代作家、田中康夫―●田中康夫『オン・ハッピネス』
  • 西欧文化との本物の関わりを感じさせる―●小池寿子『死者のいる中世』
  • いつかは日本に帰るという自明性の哀しみ―●村上春樹『やがて哀しき外国語』*34
  • 「事実」に「自分」をつきつけて恰好いい。でも酒場では会いたくない―●沢木耕太郎『象が空を』*35
  • 梅棹に比べれば安吾も淳も旧文明の老廃物でしかない―●梅棹忠夫・藤田和夫『白頭山の青春』*36
  • 清潔な作家、純粋小説の夢―●田口賢司『ラヴリィ』*37
  • 山河の風景に顕現した日本の神々―●藤原新也『日本景 伊勢』
  • 六〇年代調ゴタク満載のカルト的ポップ・ノベル―●トム・ロビンス『カウガール・ブルース』*38
  • 無法者のささえ―●横森理香『ぼぎちん』*39
  • 不安の無の明るい夜―●笠井潔『哲学者の密室』*40
  • 時代に見通しがない怖さと人間の怖さ―●山田太一『見えない暗闇』
  • 何が「奇跡」か―●青山圭秀『真実のサイババ
  • これからは精神の時代だなんて誰が言った―●J・レッドフィールド『聖なる予言』
  • いい気なもんだ―●辻井喬『虹の岬』
  • すべてをかき消してしまう意志―●『北斗晶自伝 血まみれの戴冠』*41
  • 陰謀ものの「説得力」―●広瀬隆兜町の妖怪』
  • 道楽の極みの果て―●江守奈比古『懐石料理とお茶の話』
  • 去る昭和、還る明治―●江藤淳漱石とその時代』*42


あとがき

*1:『Voice』1993年1月号

*2:『Ronza』1995年8月号

*3:『正論』1995年9月号

*4:『正論』1994年11月号

*5:『諸君!』1993年12月号

*6:『宝島30』1994年4月号

*7:『Voice』1994年6月号

*8:マルコポーロ』1993年9月号

*9:新潮45』1994年7月号

*10:CREA』1992年6月号

*11:マルコポーロ』1992年8月号

*12:マルコポーロ』1993年12月号

*13:マルコポーロ』1993年11月号

*14:マルコポーロ』1994年1月号

*15:マルコポーロ』1994年5・6月号

*16:マルコポーロ』1994年2月号

*17:CREA』1993年5月号

*18:『言語』1994年12月号

*19:『正論』1995年2月号

*20:海燕』1995年9月号

*21:海燕』1994年5月号

*22:図書新聞』1994年6月25日号

*23:『読売新聞』1993年8月10日夕刊

*24:『正論』1995年8月号

*25:『正論』1995年10月号

*26:『GQ』1995年3月号

*27:『宝島30』1994年6月号

*28:『宝島30』1994年7月号

*29:『宝島30』1994年8月号

*30:『宝島30』1994年9月号

*31:『宝島30』1994年10月号

*32:『宝島30』1994年11月号

*33:『宝島30』1994年12月号

*34:『Views』1994年5月25日号

*35:『Views』1994年1月26日号

*36:エスクァイア日本版』1995年5月号

*37:『波』1994年4月号

*38:『鳩よ!』1994年4月号

*39:『ちくま』1994年11月号

*40:『新潮』1993年2月号

*41:『Views』1994年11月号

*42:文學界』1994年1月号