マサオ・ミヨシの「太宰治」

抵抗の場へ―あらゆる境界を越えるために
マサオ・ミヨシ+吉本光宏『抵抗の場へ──あらゆる境界を越えるために マサオ・ミヨシ自らを語る』(洛北出版、pp.102-3)

吉本   あなたは社会で起こっていることから距離を置いていました。戦後日本文学にも熱狂はしなかったのですか。
ミヨシ   友人の間で話題にはしていましたが、それらを本当に読んだとは思いません。僕はオルダス・ハクスリーなどのより新しい物は読んでいましたが、戦後日本文学には今さら呆れるほど無関心でした。
吉本   しかし、太宰治は読んでいたのではありませんか。
ミヨシ   その通りです。ただ、高等学校を出る頃には太宰治は卒業していたでしょう。僕は確かに太宰を読みました。これもまたほとんどすべてです。でも、彼が『人間失格』、『グッドバイ』、そして『斜陽』などを書き始めた頃には、太宰は僕にとってはほとんど大衆作家になっていました。そういう太宰をそれほど面白いとは思わなかったのです。一方で後に僕は、彼の初期の作品は遥かに真面目な小説であり、太宰を疎外され過小評価された作家と考えていました。そうした太宰が凄く魅力的だと思ったのです。

『抵抗の場へ』(pp.105-6)

吉本   では、転向についての議論についてはどうでしょうか。これはもっと後になってからのものですが、吉本隆明埴谷雄高、そして鶴見俊輔の転向についての共同研究などがあります。これらはあなたにとって何か意味がありましたか。
ミヨシ   いいえ。その時にはアメリカにいましたから、読んでいません。既に言ったように、僕はあまり日本語の本を読まなかったのです。
 それは僕のもう一つの奇妙なひねくれの例です。太宰だけが、唯一僕が真剣に取り上げた作家です。小林秀雄などを僕は読みはしたが、あまり深く影響されはしませんでした。しかし、太宰にはおそらく強く影響されたのだと思います。それと原口。

『抵抗の場へ』(p.148)

── そういうニヒリスティックな思いと、太宰にすごく影響を受けたというのは何か関係がありますか。
ミヨシ   あります。非常に強く。