業田良家の「太宰治」

「私の読書遍歴 第五回 業田良家」(『文學界』2003年11月号)

 活字の本を読むよになったのはいつ頃からですか。
  高校生ですね。太宰治の『人間失格』を読んで衝撃を受けました。「道化」という言葉に共感した。自分も道化じゃないかと思ったんです。そして、人の心の裏側に気が付かされた。自分にもそういう暗い気持ちとか嫌な面があることを強烈に感じて、ショックを受けました。「あっ、自分と同じだ」と、嫌だと思いながら共感したわけですね。それに加えて太宰治は文章がすごくきれいだなと思って、その後も『斜陽』『富嶽百景』など代表作はひと通り読みました。続いて武者小路実篤とか夏目漱石筒井康隆さんなども読むようになりましたが、やっぱり太宰が一番好きでした。
 太宰治を読まれたときの衝撃は業田さんの漫画、たとえば『自虐の詩』に影響を与えていますか。
  僕の描く漫画の笑い全体に影響を与えている気がします。特に、『お伽草子』の暗い笑いが好きです。また、自分を語る太宰治にはユーモアがあって、自虐の可笑しさを感じました。苦しみとか悲しみも、やり過ぎると可笑しくなってくる。何もここまで考えなくても、という感覚。ペーソスのような伝統的な笑いとはちょっと違う笑いですね。
 ただ、『人間失格』は『自虐の詩』ほどには笑いを意識していないと思います。
  僕が太宰を誤読している可能性もあります(笑)。太宰の生きた時代は明治末期から昭和二十年頃まででしょう。僕は一応豊な時代になってから読んでいるわけですから、その時代のずれが可笑しさを生んでいる部分もあると思います。たとえば、太宰が『二十世紀旗手』に書いた「生れて、すみません」という文章は、僕と友達との間ではギャグとして使っていました。あと、石川啄木の「はたらけどはたらけど・・・・・・ぢつと手を見る」というのもギャグにしていた。共鳴しているからこそ、笑いにするんですが。