鎌田哲哉「第四十一回群像新人文学賞」(『群像』1998年6月号)

〈受賞の言葉〉

 長い間、明晰化に不可欠な条件は勇気である、という格率は私を苦しめた。この批評がそれを実行したとは到底思えない。本質的な主題を直前で回避したまま、怯えや疲れや結局は怠惰で私は小さく凍えかけている。〔…〕受賞を知った今、私は水に落ちた犬どもをさらに徹底的に叩く必然を感じる。それだけが何かを新しく始める条件だと思う。

選評

 鎌田氏の「丸山真男論」は、一昨年丸山真男が死んで以来書かれた多くの論文の中で、私の知るかぎり、最も優れている。このエッセイは、政治学現代思想に造詣があるにせよ、文芸批評家しか書けないような洞察をもっている。その意味で、これは明らかに「批評」の仕事である。
丸山真男論』は諸々の丸山批判をバフチンポリフォニー理論で払い除け、丸山自身の福沢諭吉論を通して、福沢/丸山批判に至る。ジョイスエピグラフが結論である。
 批評では『丸山真男論』における「丸山真男」の論理の抽出の仕方のフェアさに心をうたれた。政治と文学という古くて新しい問題を考えるとき、いまでも「丸山真男」は新鮮なのだ。
丸山真男論」は主題の格調と表現の格調が食い違っている。平たく言えばそんなけんか腰の表現をとらなくてもいいのにと感じたのである。
 『丸山真男論』も面白かった。マルクス主義に刻印されていた丸山がじつはもっと深く福沢諭吉の「原則」に示唆されていたこと、さらに丸山自らの思考モデルがもつ「世界」認識の方法と限界が提示されていて、おおいに私自身の勉強にもなった。ただ福沢の「脱亜論」が意味する「立国」の原理とそれに批判的なはずの丸山の「惑溺」せぬ姿勢との関連をもっと直截に突っこんでほしかった。アイルランドアイヌ民族に触れながら福沢と金玉均の位相に言及しないのはどこか不審である。


鎌田哲哉「訂正その他」*1

 そんなにけんか腰にならなくても、と他人を揶揄する者は、公正にみえて殆どつねに小さな既得権を守るためにそう言っている。自分の不公正な態度への疑惑とそこからの旋回が機会主義や自己欺瞞の合理化に終る例もいくらもある。我々は全く逆に、真に公正であるためには「不公正」であるほかないという逆説を、つまり率直かつ明晰に打つべきものを打てという基本原則を、この連中の口元一杯に吐くほどに詰めこむべきではないのか。せこいわがままな中傷とは無縁な場所で必ずそれができる。


福田和也鎌田哲哉江藤淳と私たち」*2

K 小説家や批評家が甘やかされているのと同様、読者自体もシステムに甘えているわけで、江藤さんの仕事の価値を『妻と私』でしか理解しない連中が大量に出現したということですね。『夏目漱石』や、福田さんのよく言う『閉ざされた言語空間』の価値は全く忘れられた所で、江藤さんがもっとも嫌った堀辰雄的な、本当の意味では人を憎むことも愛することもできない読者がうわずみをすくっていく。でも、それならいっそそんな本を書かなければよかったとも僕は思います。僕は、清貧がいいとは全然思いませんが、自分が誰に読まれたくないかは新人賞の受賞の言葉で明記したつもりです。


大西巨人「往復書簡」のことなど*3

 昨年初夏初対面の際、鎌田君は、本誌第一号を私に呉れた。同君の物言いは、人生と文学とについて、たいそう真摯しんしなものであり、それは、活字面で私の看取してきた要素と、いかにも見合っていた。「第四十一回群像新人文学賞」の『選評』[『群像』一九九八年六月号]で、中沢なかざわけい氏が、「そんなけんか腰の表現をとらなくてもいいのにと感じたのである。」と言った所以ゆえんの消極性を、私は、いよいよ正当に理解し得たのである。

*1:『群像』1999年9月号

*2:リトルモア』VOL.18 AUTUMN(2001年10月25日)。この対談は福田和也の座談集『スーパーダイアローグ』に収録されたが、大西巨人に似て改稿癖があると思しい鎌田哲哉は自らの発言部分に手を加えている。この転載部分においては「〜僕は思います。」と「僕は、清貧がいいとは〜」の間に「それはどうしても譲れないところです。」を挿入している。

*3:『重力02』(2003年4月10日)