ⓧ『世紀送迎篇』

ⓐ『迷宮』(光文社/1995年)

 皆木・湯原によると、『二十世紀日本』の構想は、下のごとくだった。──それは、全七部の作品で、第一部『黄昏を行く人々』は、一九二八年〔昭和三年〕〜一九三六年の、第二部『その前夜』は、一九三七年〜一九四一年の、第三部『堅氷の歳月』は、一九四二年〜一九四五年の、第四部『雪解の季節』は、一九四六年〜一九五五年の、第五部の『逆流の中で』は、一九五六年〜一九六五年の、第六部『豊富の中の貧困』は、一九六六年〜一九八〇年の、第七部『黄昏ふたたび』は、一九八一年〔昭和五十六年〕以降の、それぞれの社会的・人間的現実を描出する。七部は、おのおのいちおう独立の作品(六百枚〔四〇〇字詰め原稿用紙・以下同断〕前後)として完結し、その総体は、三千五百枚〜四千二百枚の巨大長篇となる。各部の対象時間は、四年間ないし十五年間だが、各部の作中現実現在時間は、一日ないし数日に集約。······


ⓑ「【共同インタヴュー】大西巨人に聞く 小説と「この人を見よ」〔聞き手:絓秀実 渡部直己〕」(『批評空間』第Ⅱ期第24号)

 前衛ということで言うと、「底付き」というのは非常に奇妙なむしろポスト前衛的な小説ですが、そもそもどうしてあんな小説が書けてしまったんでしょう。
大西 頭の中にずっと前から一篇のとても長い小説があるんですよ。その冒頭部はね、「黄昏を行く人々」というんです。時代的に言うと、一九三〇年代から日華事変に行くあたりを扱うつもりなんです。その「黄昏を行く人々」の部分的な表象が「底付き」なんです。私はあまり短篇を書いたことがないんですが、書いてみろと言われて、その気になって書いた一つが「底付き」なんです。
 私は十代から軍隊に召集されるまでくらいの時期にいくらか短歌を作っていたことがあるんです。しかし、戦後はわずか二首しか作っていません。いずれにせよ短歌としてはわれながら上等ではないと思っていますが、戦前の一首にこういうのがあります。「水道料三月溜りて水出でず電灯も危ふし鉱山の夢」。それが「底付き」なんです。


ⓒ「《面談》大西巨人 新作長篇『深淵』をめぐって〔聞き手=山口直孝〕」 (『社会評論』〇四冬(136)号)

 ──そうですか。その「晩期前半の仕事」の予定をお聞かせください。
 大西 まず、『黄昏を行く人々』という長篇を書こうと思っている。ハインリヒ・ベルの作品に『九時半の玉突き』という六五〇枚位の長篇がある。建築家の家族の三代にわたる歴史を、短い時間の断片に圧縮して示したものだが、それと同じように、一九三〇年代後半の時代を、ある一日を描くことで書き表したい。枚数は、二五〇枚ぐらいを予定している。
 ──それは、それだけで独立した作品ですか。
 大西 いや、全八部の長篇の第一部になる。「黄昏を行く人々」は、題名だけはずいぶん前から決まっていたんだ。
 ──確か『迷宮』で皆木旅人が構想した大長篇の第一部も同じ題でしたね。
 大西 そう。皆木の計画は、一部あたり六〇〇枚だったが、それだと全部で五〇〇〇枚近くになってしまう(笑)。それで一部あたり二五〇枚ぐらいにしよう、と。第八部は『黄昏ふたたび』という題でね、これは、三〇〇枚ぐらいになる予定。ある部では、戦時下、またある部では高度成長期、というように、二十世紀の日本の歩みがたどられる。それぞれの部は、独立した作品として読むこともできるが、全体として、一つの長篇となる。『神聖喜劇』でも「喚問」・「大船越往反」・「奇妙な間の狂言」などは、それだけ読んでも面白い話になっていると思うが、そういうパートと『神聖喜劇』全体との関係を考えてもらえば、ある程度想像はつくだろう。
 ──『地獄変相奏鳴曲』のように、各部の主人公が同じである連環体長篇小説になるのでしょうか。
 大西 だいたいそういうことになるね。主要登場人物は同じで、そのうち一人は、八部すべてに登場する。各部の独立性は、従前の場合よりも、ずっと明確になるはず。


大西巨人〔聞き手・鎌田哲哉〕『未完結の問い』(作品社/2007年)

───話は変わりますが、大西さんはもう次の作品を構想されていらっしゃるんですか。
大西──考えてはいても、大体、スピードアップができないわけだからね。ハインリヒ・ベルというドイツの作家がいるだろう。あの人の『九時半の玉突き』は、三代にわたる物語で、六〇〇〜七〇〇枚の作品に圧縮されている。あれと同じような形式なんだが、『世紀送迎篇』という小説を考えている。これは、二〇世紀の後半から新世紀のはじめにわたる。ちょうど『五里霧』のような形で、もう何十年と考えている。第一部は『黄昏を行く人々』というタイトル。二五〇枚ぐらいでまとめて、これだけでも読める。全体では八部構成として考えているけれど、果はたしてその通りにいくかどうか。何年間かを圧縮した形にして、それぞれ表現できるかどうか。登場人物のひとりとして、おしまいまで同じ人間がいる。しかし、それを含む複数の人々の話として考えているんだよ。


ⓔ「文芸の風 第3部 延びた時間 5 「俗情のと結託」を嫌悪、ひとり立つ」(『朝日新聞』2005年3月16日朝刊)

「世紀送迎篇」と名付けた、日中戦争から現代にいたる大長編を構想している。
 「そうですな、戦中に、月の照っている山上で日本社会そのものと戦う日本的『人権宣言』を書こうと考えたのが最初。『黄昏を行く人々』という第一部に、そろそろ取りかからなければいけないな」。


大西巨人×高橋源一郎「特別対話 文学の「本道」を行く」(『季刊at』2号)

もう一つ、これは大きなもので、こちらは戦争中から考えてある大事なタイトルで、『黄昏を行く人々』という小説です。
(…)
『黄昏を行く人々』は、満州事変の時代を書こうと思うとるんですよ。つまり題の「黄昏」は時代の黄昏のことですな。
(…)
『黄昏を行く人々』の後は、『その前夜』という作品が続く。この長篇連作は、『世紀送迎篇』という全八部作のものなんですよ。それで八部作の最後が『黄昏ふたたび』という題になるところまでは決まっている。


ⓖ「アート探究 大西巨人が大長編構想 戦争の時代、改めて問う 「神聖喜劇」から26年 86歳、衰えぬ意欲」(『日本経済新聞』2006年2月18日朝刊)

 戦後文学の最高峰の一つに数えられる大長編「神聖喜劇」。その作者である大西巨人が、再び大長編小説に挑む。来年米寿を迎える大西に、新作の構想を聞いた。

 
 白髪に人を射抜くような鋭い眼光。さいたま市の自宅で会った大西巨人の第一印象は、厳しそうな文人だった。しかし、いったん話し始めると口調は柔らかく、時折笑い顔も見せる。話の途中で小説の一節や和歌、漢詩をそらんじる姿からは、書棚に整然と並んだ様々な文学全集すべてが頭に入っているのではと感じたほど。その博覧強記ぶりは、代表作「神聖喜劇」の主人公である東堂太郎二等兵を思い起こさせる。 

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 「神聖喜劇」は、東堂二等兵が超人的な記憶力を武器に、不合理な軍隊生活に立ち向かう物語。古今の思想や文学の断片がちりばめられた思弁的な内容ながら、優れたユーモアが読者を飽きさせない。芥川賞作家の阿部和重は、二〇〇二年に復刊された光文社文庫(全五巻)の第二巻解説で「日本文学史上の最高傑作の一つ」と書いている。
 新作「世紀送迎篇」は、「神聖喜劇」以来の大長編となる。一九三〇年代から二十一世紀初めまでの日本が舞台。「神聖喜劇」と同じく八部構成で、それぞれ独立しても読める連作スタイルとする。第一部「黄昏を行く人々」では、戦争への道を本格的に歩み始めた一九三一年の満州事変前後の時代を描く。
 「戦争中から大事に温めてきたテーマ。戦前、戦中、戦後と、人々が時代とどう向き合ってきたかを映し出したい」と意気込む。三ヶ月間の濃密な軍隊生活を描いた「神聖喜劇」に比べて、歴史の大きな流れを追う作品になりそうだ。
 現代を舞台にする第八部も、タイトルは「黄昏再び」に決めている。「憲法改定に向け突き進む現在の動きは戦前を思わせる。時間がかかり空想的といわれても、武力を使わずに国際紛争を解決する手段を求めなくてはならない。そうでなければ日本が戦争に負けた意味がない」。その思想は四年近くに及ぶ軍隊生活で味わった理不尽な体験に支えられている。第八部では社会全体がたそがれに向かう中で、新しい力がうごめいている様子を書く考えだ。「とにかくスローモーだから」と自嘲するように、遅筆で知られる。八〇年に完結した「神聖喜劇」の執筆には二十五年かかった。「世紀送迎篇」では「三年分の時間の流れを一日に圧縮する」といった描き方をして、分量を「神聖喜劇」(四百字詰め原稿用紙四千七百枚)の半分以下に抑える。
 「きれいな原稿でなければ満足できずに何度も書き直した」完全主義者も、十年ほど前からワープロを使うようになり、執筆の速度が上がった。
 近年はインターネットで作品を発表している。記憶喪失の男性と二つの冤罪裁判とのかかわりを描いた長編「深淵」、オウム真理教事件をモチーフとした中編「縮図・インコ道理教」は、いずれも長男の作家大西赤人が運営するサイト「巨人館」に連載したものだ。
 「電脳時代には活字出版は危機に陥るとか言われているが、共存共栄できるのではと思い、ネットで発表するようになった」と語る。「世紀送迎篇」も年内には「巨人館」で連載を始め、五年後の完結を目指す。
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 「小説は面白くもあり、ためになるものでなくてはならない」と述る。「神聖喜劇」をはじめ多くの作品に推理小説のような謎解きの要素が含まれており、真実が明らかになっていく様子が読者を楽しませる。
 もっとも、大西は「俗情との結託」を厳しく否定してきた。野間宏の小説「真空地帯」への批判は、すでに文学史の一部となっている。野間が軍隊を「真空地帯」として一般社会とかけ離れた場所ととらえたのは、一見もっともらしい見方(俗情)に乗っかっているに過ぎない。軍隊は社会の縮図なのである、という指摘である。
 改めて「俗情との結託」批判の意味を聞いてみた。「どういったらええじゃろうかなあ」としばらく考えたうえで、次のように説明する。「作品が売れるのは大いに良いことだが、そのために易きに流れてはならないということかな」。文学に関する厳格主義者は、八十六歳にしてまた、ゴールの遠い長距離走に出る。 =敬称略
 (文化部 中野稔)


ⓗ「大西巨人氏に聞く──「文学の可能性」」(『アンゲルス・ノヴス』第33号)

大西 二千五百枚というのは、全八部作のつもりなんです。全体で一まとまりだけど、一部ずつがその前後を知らなくても読めるというものを書きたいと思ってる。第一部は「黄昏を行く人々」で、これは年代で言うといわゆる満州事変の前後、第二部は「その前夜」と題は決まっていて、日中全面戦争の前夜と。それをある一日に集約して書くというつもり。それで、「その前夜」はその前を行く「黄昏を行く人々」を読んでない人でも単独で読めるというつもりでいますけどね。「つもり」は。そんなことを考えているんですよ。だからね、なかなかくたばられん(笑)。


ⓘ「ロングインタビュー 大西巨人 文学とは困難に立ち向かうものだ〔聞き手●市川真人〕」(『文學界』2008年2月号)

 ──最近ようやく中期後半の仕事が終わって、ようやくレイト・ワークに入ったくらいだとおっしゃていましたが、次回作は四千枚だそうですね。
 大西 四千枚の作品は『世紀送迎篇』というんだけど、もうずいぶん高齢になるからあまり時間がねえなと思ってる。『神聖喜劇』に二十五年もかけたから(笑)。


大西巨人鎌田哲哉「文学の力、非暴力の力──HOWS08年前期開講講座・対話の集いから」(『社会評論』〇八夏(154)号)

大西 いや、別にいま鎌田君が言ったことについて、それ以上付け加える何ものも感じないがな(一同笑)。「満州事変の前みたいな空気」と言ったことに関連して、ちょっと言うとね、大風呂敷を広げるようなことになるが、『八つの消滅』という今書いている小説の他に『世紀送迎篇』という、だいたい三千枚ぐらいの小説を考えている。その第一章が『黄昏を往く人々』という題なんだが、「黄昏」とは満州事変前夜のことを意味している。だから、「満州事変の前みたいな空気」を説明するとなると、『黄昏を往く人々』一冊分の話をしなければならん(笑)。


大西巨人+坂口博+波潟剛「鼎談 福岡に大西巨人氏を迎えて」(『福岡市総合図書館研究紀要』第10号)

坂口 予定では、『世紀送迎編』というのは全八部というふうになっています。
大西 だいたい『神聖喜劇』を書いたときに自分でもあんな長い小説を、長い時間をかけて、と思って始めたことではない。結果としてそうなった。それでもう、こんなに長い小説は読む方の身にもなってと思って。(会場笑い)それでまして『戦争と平和』とか『チボー家の人々』とか、長い小説、折り紙付きのいわば古典であっても、それを読むとなると「よいしょ」というようになる。思い立たんならんようになる。それから時間的にも夏休みとか何とか。それでね、一〇〇〇枚以上の小説は書くべからず、ということを思っとったら、『三位一体の神話』(光文社、92・6)だったかな、また一五〇〇枚とかなって。それなんで、これからは── 『神聖喜劇』は、だから読んだというだけで感激するんですよ、私は──なるべく短く書くように心掛けようと思って、今、やっとる。
『世紀送迎編』も始めは第一部『黄昏を行く人々』が二五〇枚、第八部『黄昏ふたたび』が三〇〇枚というふうに考えているが、その間の二部から七部がどういうふうになっていくか私にも······。つまり、トーマス・マンというノーベル賞作家のことでいうと、あの人がおじいさん、父、子の三代の物語を大体六〇〇枚かせいぜい七〇〇枚というくらいに、圧縮して書いている。そういうふうなやり方でなるべく短く書かんと、また『神聖喜劇』のように長くかかりよったら、本人の方が先にくたばってしまうと思って。『世紀送迎編』はなるべく短く、『黄昏を行く人々』も始めの予定はたとえば五〇〇枚書くというところ二五〇枚くらいにして書こうと思っています。だけどこれもね、いつ出来上がるか分かりません。


ⓛ「新 家の履歴書 大西巨人 無声映画に夢中になり弓術ごっこをして遊んだ、福岡・城島の家」(『週刊文春』2011年3月17日号)

次回作の『世紀送迎篇』は四千枚の長篇になります。もうずいぶん高齢になるから、時間がないなあ。まあ、元来がスローモーやからね(笑)。

  • 『迷宮』の作中人物・皆木旅人(秋野香見/湯原夏実*1/藤波多満)は1991年に72歳で死去する。ゆえに皆木は、1919年生れ(ないし1918年生れ)の作者・大西巨人とほぼ同年齢であり、その他の経歴も大西巨人と類似した人物として造形されている。『二十世紀日本』は第一部『黄昏を行く人々』を『社会公論』誌上で連載中に、皆木が白玉楼中の人となることによって、未完に終わる。
  • 『世紀送迎篇』が全八部であり、『二十世紀日本』が全七部であることに差異はあるものの、第一部が『黄昏を行く人々』であり、第二部が『その前夜』であり、最終部が『黄昏ふたたび』(『黄昏再び』)であることは共通している。ゆえに『迷宮』に記されている『二十世紀日本』の構想は、質的に『世紀送迎篇』の構想とほぼ同様であると見做せる。
  • ⓒⓓの時点では一部あたり約二五〇枚とされており、『世紀送迎篇』全八部は約二千枚と想定されている。それがⓗでは約二千五百枚に、ⓙでは約三千枚に、ⓘⓚでは約四千枚にまで大きく成長している。ⓒで大西巨人は「皆木の計画は、一部あたり六〇〇枚だったが、それだと全部で五〇〇〇枚近くになってしまう」と語るが、皆木の『二十世紀日本』は「三千五百枚〜四千二百枚の巨大長篇」として構想されていたのである。全八部と全七部の差異はあれど、四千枚にまで膨張した『世紀送迎篇』の構想は、量的にも『二十世紀日本』の構想に匹敵するものである。
  • 『日本人論争 大西巨人回想』の「星霜─アルバムと自筆原稿から─」の「構想ノートより」に『世紀送迎篇』の章立てが写っている。以下の通りである。*2
第一部 『黄昏を行く人々』 1931
第二部 『その前夜』 1935
第三部 『堅氷の歳月』 1944
第四部 『雪解けの季節』 1950
第五部 『逆流の中で』 1960
第六部 『豊富の中の貧困』 1975
第七部 『黄昏ふたたび』 1990
第八部 『二十一世紀序幕』 2005

*1:p.144に「皆木さんの愛誦歌、湯原王作『吉野なる夏実の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山陰にして』〔『万葉集』巻三〕に因んだペンネームだ。」とあるが、保田與重郎は1930年に「「好去好来の歌」に於ける言霊についての考察」を湯原冬美のペンネームで発表している。

*2:「黄昏を行く人々」には「二・二六事件」、「その前夜」には「日支事変」、「堅氷の歳月」には「太平洋戦争終了したあとの頃」という鉛筆書きを読み取ることが出来る。