- 絓秀実『詩的モダニティの舞台』(思潮社、一九九〇年九月二十日初版第一刷)
装幀 田代しんぺい/装画 吉田戦車 - 絓秀実『増補新版 詩的モダニティの舞台』(論創社、2009年1月20日初版第1刷印刷/2009年1月30日初版第1刷発行)*1
装幀 奥定泰之
第一部 詩的モダニティの系譜
詩的モダニティの系譜──萩原朔太郎の位置*2
第二部 〔ポ〕エティックの舞台
「市民」と「詩人」──鮎川信夫論*3
反=隠喩としての詩──北村太郎論*4
詩的モノローグの彼岸──田村隆一論*5
「おとづれ人」の書法──黒田喜夫論*6
散文=詩という逆説──岩田宏論*7
詩的臨界とその外──吉岡実論*8
忘却についての試論──入沢康夫論*9
聖杯の不在──天沢退二郎論*10
測量士の「女根」──吉増剛造論*11
機知としての詩=俳句──寺山修司論*12
コミュニケーションとしての「飢え」──石原吉郎論*13
不眠者の間隙──山本陽子論*14
複製の王国──ねじめ正一論*15
「主体の廃墟」の後に──稲川方人論*16
第三部 日本近代文学の始まりと68年
ハムレット/ドン・キホーテ/レーニン──近代初頭における詩・小説・演劇*17
「呪われた詩人」と、その後── 一九六八年の詩人たち*18
- 六八年/六〇年
- 表象=代表システム/ラディカリズム
- 自由浮動性/聖職者
あとがき
新版あとがき
初出一覧
「絓秀実書誌」(『重力02』所収)の1988年の箇所には「▷「市民」と「詩人」鮎川信夫論 『詩的モダニティの舞台』収録 『現代詩手帖』2月号」および「▷「市民」鮎川信夫 『現代詩手帖』10月号」とあります。また『詩的モダニティの舞台』の初出一覧には「「市民」と「詩人」 「現代詩手帖」一九八八年二月号」とあり、『増補新版 詩的モダニティの舞台』の初出一覧にも「「市民」と「詩人」 「現代詩手帖」一九八八年二月号」とあります。これらを見ると絓秀実は『現代詩手帖』1988年2月号に「「市民」と「詩人」」を発表し『詩的モダニティの舞台』に収録され、『現代詩手帖』1988年10月号に「「市民」鮎川信夫」という別の鮎川信夫論を発表しているかのようです。しかし、『現代詩手帖』1988年2月号に「「市民」と「詩人」」という評論は掲載されていません。そして、『詩的モダニティの舞台』に収録されている「「市民」と「詩人」──鮎川信夫論」は『現代詩手帖』1988年10月号掲載の「「市民」鮎川信夫」と同一の評論です。つまり、「「市民」鮎川信夫」を「「市民」と「詩人」」と改題して『詩的モダニティの舞台』に収録したということです。しかし、『詩的モダニティの舞台』の初出一覧に「「市民」と「詩人」」の初出が誤って『現代詩手帖』1988年2月号と記載されてしまったために、改題されていたことも手伝って、「絓秀実書誌」作成者の山本均は「「市民」と「詩人」」と「「市民」鮎川信夫」が別々の評論であると見做してしまったようです。
『詩的モダニティの舞台』書評