沢清兵『褪色 異邦のコム二スト』

絓秀実は『重力02』掲載「六八年を知るためのブックガイド130」の「NO.22 『望郷と海』石原吉郎」(p.173)を執筆している。

68年のスターリン批判というモチベーションは、シベリア抑留体験者の再評価を促し、三波春夫から内村剛介にいたる存在に着目したが、そのなかでも本書は、「ホモ・サケル」(アガンベン)ともいうべき人間の裸形を静謐に記述して衝撃を与えた。なお、本書と相即的に読まれるべきものに、セリーヌ的文体によって記述された、沢清兵『褪色─異邦のコムニスト』(71年)を挙げておく。(S)

内村剛介の解説によれば「『褪色』ははじめ一九六四年二月── 一九六六年一二月の『試行』誌に掲載されたものである。こんど一本にまとめるに当って終章が書き足された」という。*1
著者の沢清兵さわせいべいは本書以外に著書はなく、生没年不明であるが、1929年の「4・16事件」で入獄した非転向コムニストである、と解説にある。戦後、ソ連に抑留されるまでの経緯は不明だが、本書にはソ連政府によって政治犯とし逮捕されてから、監獄やラーゲリ(収容所)、コルホーズ(集団農場)での生活が「セリーヌ的文体」(両者は罵詈雑言と感嘆符〔!〕の多用に共通点がある。また、セリーヌ三点リーダ〔……〕を多用するのに対して沢はダッシュ〔──〕を多用する。)によって綴られている。「Ⅳ章 アレキサンドル監獄」では近衛文麿元首相の長男・近衛文隆との交流も描かれている。1954年に再審無罪で自由証明書を与えられるが、コムニストとしての立場からサハリンで農業に従事し、農場責任者として生産量を向上させ、地区で一番のコルホーズにのしあがらせる。州党部に帰国の同意を得る場面で本書は終わる。帰国年は不明であるが1956年のスターリン批判以降である。
著者はレーニンによる偉大なロシヤ革命がスターリン、ベリヤ、アブクーモフ、リューミンらによって頽落させられたという観点で記述しており、スターリンらへの呪詛や罵倒を執拗に記す一方、コムニストとしての立場を固守している。

空 白
人 生 の 空 白
何 も か も 無 色 の 世 界 だ
・ ・ ・ ・

─君は、政治犯だ、政治犯減刑は適用されない。
─なに! 減刑だと!?
 減刑など要求した覚えはない!
─俺は減刑を願っていままで再審を要求していない。即時釈放だ! 理由? 簡単なことだ──無罪!

へっへっへっ、こうなりゃどちみち、俺達貧乏人の世の中なんて来っこなしさ、早くノルマの黒パンでも嚙ってよ、くたばって、それでおしめえさ──

ソビエトを信じつつ、ソビエトとは妥協し得ず──祖国日本を愛しつつも、祖国のあらゆる現実を愛し得ない── この無国籍者!

白い手首よ!
お前らは人生ではない!
そう!
人生のかけらでもないのだ!
いいか!
ほんとうの人生とは──
この何だかわからない
きまぐれの気狂いめを──
息の根のとまる程の烈しさで──
ぶちのめしてやることさ! ──

一発ぶちかましてやろうぜ!
おまえたちの!
そしてこのおれの!
生という残虐な野郎に──
そうだ!
一ぱつどかんとぶちかましてやろうか!


やろうぜ! レビヤータ(仲間)!
死ぬか生きるかだ!
人生に、それより他のものぁ──
何一つありゃしねえ! ──

コルホーズ
コルホーズ
それはお上品なサロン・マルクシスト達、また、スターリン官僚の亡霊共が、かつて夢にも考えなかった、革命の新しき素材としていま、この地球上に存在する。


目次

Ⅰ章 暗黒
Ⅱ章 スターリンの死
Ⅲ章 ストリイピン
Ⅳ章 アレキサンドル監獄
Ⅴ章 ハバロフスク──日本人ラーゲリ
Ⅵ章 コルホーズ──ソビエト底辺
終章 「クーリト・リーチノスチ」
P・S
解説 内村剛三/こととことばのはざまに


奥付

褪色──異邦のコムニスト──奥付 沢 清兵 現代思潮社
一九七一年一月二五日初版 八五〇円 南保印刷所本文印刷
形成社印刷株式会社装本印刷 今泉誠文社製本
  

株式会社現代思潮社 東京都文京区小日向一―二四―八
電話 営業部代表(九四三)四四〇六 出版部代表(三五三)八一〇一
振替 東京七二四四二 郵便番号 一一二


© Sawa Seibei, 1971
0093-60133-1909

*1:『試行』10号(1964年2月20日発行)に「褪色」、11号(1964年6月30日発行)に「褪色〈二〉」、12号(1964年11月10日発行)に「褪色〈三〉」、13号(1965年3月7日発行)に「褪色〈第二部〉」、14号(1965年6月10日発行)「褪色〈第二部〉」、15号(1965年10月25日発行)に「褪色〈第二部〉」、16号(1966年2月10日発行)に「褪色〈第二部〉」、17号(1966年5月15日発行)に「褪色〈第二部〉」、18号(1966年8月15日発行)に「褪色〈第二部〉」、19号(1966年12月15日発行)に「褪色〈第二部〉」。