「新年インタビュー◉安岡章太郎 文壇の効用その他」(『文學界』2001年1月号)

太宰は東大仏文がまずかった


 ──きょうは、何かのテーマをかまえてお話をうかがうというのではなく、昔の文壇のこと、安岡さんがお会いになったいろんな作家たちのことなどをざっくばらんにお話しいただければと思います。
 安岡 突然のようだけれど、太宰治というひとのことを考えると、東大仏文に行ったのがまずかったんじゃないか。とくに仏文というのは非常に悪い選択ではないかと思う。あのひと、よくウソを吐くという。そういう人が仏文に入ると(笑)。非常に理路整然とウソをつくようになるんじゃないですかね。
 僕自身が落第ばかりした男だけれども、太宰の二度目の自殺、まあこれは心中だけれど、学校ができなくてするんだからな、だいたいはそうだったんだよ。それで心中して女を殺しちゃうわけだからね。太宰は東大なんか行かないで、早稲田にも行かないで、慶応がいちばんよかったと思うんだ。慶応のシナ文。奥野(信太郎)先生は、才能のある学生を愛したからね。太宰をなんとか卒業させてくれたはずですよ。太宰は『聊斎志異』をうまく使って「清貧譚」や「竹青」を書いているぐらいなんだから。僕はそう思って、暮夜ひそかに慨嘆していたんだ(笑)。