「大西巨人だって、困ったところもいっぱいあったりする」

絓秀実✕柄谷行人「『マルクス』への転向」*1

 今、表に出ている人は、皆「中年」ですね。「中年」は、ほとんどが意味がある人生を送りたいと思っているわけでしょう。だから、やっぱり現代版「昭和研究会」なり自民党新生党なりに行くわけですよ。大西巨人が偉いと思うのは、ほとんど無意味を生きているわけですよね。それでも堂々としているわけですよ。あの堂々とした仕方というのは、やっぱりこれはすごい。そういう意味では、多様な転向の仕方、多様な非転向の仕方というのがあるわけで、それでいいんじゃないかなという感じなんですけれどもね。
 たとえば大西巨人みたいな非転向の仕方もあるし、宮本顕治もまあ必要な人だわな、というようなことですよね。ほんとは困るんだよね。大西巨人だって、困ったところもいっぱいあったりするんだけれども、相互にこう、それこそ個体性というか、個別者の連合みたいなものというのは、もう一つまだすっきりイメージが浮かばないにしろ、あるべきだと思う。どこで許容しうるか、どこで許容しえないかというのは、判断基準を変えるべきなんじゃないか、という感じがしているんです。
柄谷 大西さんは、一人でやってきましたからね。僕自身も、『神聖喜劇』というすごい仕事がなされてきたことを知らなかった。しかし、やがては知られるじゃないですか。現に僕が知ったし。そういうことは、将来に関しても信用していいと思うんです。世代の問題じゃないですから。

*1:海燕』1993年12月号、柄谷行人著『ダイアローグⅤ 1990-1994』