平成の麒麟 鎌田哲哉


(『Voice』2001年5月号)

三年前「怒れる批評家」(浅田彰氏)として華々しく登場した鎌田哲哉さんが、昨年末から積極的に批評活動を展開、各方面で大きな波紋を呼んでいる。「くだらない奴はみんなやっつけてやるつもりです」。鎌田さんの言論からいま目が離せない。(東京の自宅・書斎にて)

「土壇場」から「重力」へ/西部忠


 鎌田に出会ったのは大学一年の時だ。八〇年代初め、学生運動の余熱がかすかに残っていたキャンパスで、ぼくたちは『資本論』の読書会をやったり、「土壇場」というノンセクトの連絡会議を組織したりした。遅れてきた者の負い目によって、自らに巣くうシラケをかろうじて抑え込める臨界点にいたのだろう。彼は酔っぱらうと、高橋和巳『悲の器』の最後の数ページを完全に暗唱したあとに、よく言い放ったものだ。「自分は早熟の天才として夭折する」と。
 その後のニューアカ・ブームは、知と戯れつつ闘争するポストモダンな感性と懐疑を蔓延させ、バブルを生んだ。鎌田は、この「時代の慣性」に一貫して抵抗し、群像新人賞を受けるまで試練の日々を耐え抜いてきた。彼の批評に見られる誠実な論理と苛烈な精神は、持ち前の強靭な記憶力と持続力によって支えられている。鎌田とぼくは他の同人たちとともに今年雑誌『重力』を創刊する。これは、かつての事業を未来へ向けて再開することである。彼の碇(怒り)が深く遠くへ投ぜられることに期待したい。