大西巨人と『江藤淳と大江健三郎』

江藤淳と大江健三郎: 戦後日本の政治と文学 (単行本)
小谷野敦江藤淳大江健三郎 戦後日本の政治と文学』第一章「出生──四国の森と海軍一家」の最初の小見出しは「生年のごまかし」と題されており、そこには以下の記述がある。

 先ごろ、作家・大西巨人が、九十歳を超えて長逝した。その際、報道で大西を「九十七歳」としていたことに、怪訝の念を抱いた人がいたが、私はその指摘を見るまで気づかなかった。大西は一九一九年生まれとされており、講談社文芸文庫で出た作品集『五里霧』(二〇〇五)に付せられた年譜でもそうなっていた。ならば九十四歳のはずなのである。
 〔…〕確かにこの年譜は注意深く読むと変で、満五歳で小学校に入り、十一歳で中学校に入り、十四歳で高等学校に入り、十八歳で九州帝大に入っている。旧制だからおかしいので、普通は十六歳で高等学校である。年譜を作成した齋藤秀昭氏もおかしいと思い、それとなく大西に訊いてみたが、「笑って答えず」状態だったという。

以上の引用個所を「注意深く読むと変」である。「満五歳で小学校に入り、十一歳で中学校に入り、十四歳で高等学校に入り、十八歳で九州帝大に入っている」という個所は「十一歳で中学校に入り」だけは単純年齢になっており、他は満年齢なのだから、「十歳で中学校に入り」と訂正する必要がある。
「旧制だからおかしいので、普通は十六歳で高等学校である」という個所も不得要領な記述である。「旧制だからおかしいので」ということは「新制ならばおかしくない」ということだが、「満五歳で小学校に入り、十一歳で中学校に入り、十四歳で高等学校に入り、十八歳で九州帝大に入っている」は満十八歳で大学入学以外は新制でもおかしいのである。また「普通は十六歳で高等学校である」とは「旧制において普通は十六歳で高等学校である」という意味なのか、「新制において普通は十六歳で高等学校である」という意味なのかが不明瞭であり、新制における遅生れの者のみ「普通は十六才で高等学校である」という記述は正しいのである。なぜなら、旧制であれば「普通は満十七歳(単純年齢十七〜八歳)で高等学校」入学であり、新制であれば「普通は満十五歳(単純年齢十五〜六歳)で高等学校」入学だからである。
小谷野敦の著す伝記はおしなべて面白いのだが、文章がやや粗いの難点である。二一四頁に「秋庭太郎の『永井荷風傳』、野口冨士男の『徳田秋聲ママ』といった伝記の名著のもつ、考証に徹して細かなことを探る面白みや渋さは、江藤の著にはない。」とあるが、小谷野敦の著す伝記には「細かなことを探る面白み」はあるものの「渋さ」はないのである。