新資料 太宰治の手紙──佐藤さん、私を忘れないで下さい

佐藤春夫読本
太宰治書簡佐藤春夫宛1936年1月28日(封筒欠 毛筆 巻紙[18.8cm×404.0cm])

 謹啓


いまにいたつて、どのやうな手紙さしあげても、なるやうにしかならないのだと存じ、あきらめてじつとして居りましたが、どうにも苦しく、不安でなりませぬゆゑ、最後のお願ひ申し述べます。
芥川賞は、この一年、私を引きずり廻し、私の生活のほとんど全部を覆つてしまひました。関心の外に追ひ出さうとしても、それは、不自然で、ぎごちなく、あがけばあがくほど、いよいよ強くつながつて行くやうなややこしい状態にさへなつてしまひました。御賢察のほどお願ひ申しあげます。ことしにはひつてからは、毎日毎日、うちにゐて、うろうろして居ります。「狂言の神」といふ作品が、やうやく、このほど、ノオトの中でまとまり、二月から、ゆつくり清書にとりかからうと存じて居ります。第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申しあげます。私は、きつと、佳い作家に成れます。御恩は忘却いたしませぬ。昨年後半期、七月から十二月までに小説を四篇発表いたしました。
  ◎玩具他一篇(二十枚)「作品」七月号
  ◎猿ヶ島(十八枚)「文学界」九月号
  ◎ダス・ゲマイネ(六十五枚)「文藝春秋」十月号
  ◎地球圖(十八枚)「新潮」十二月号
 なほ又、新潮正月號にも、めくら草紙(十八枚)を発表いたしました。
 芥川賞当選のときには、それと同時に、「思ひ出」といふ八十枚の舊稿に手を加へたものを文藝春秋に発表したいと思つて、すでに編輯部の鷲尾洋三氏の手許へお送りしてございます。「思ひ出」には、可成りの自信を持つて居ります。こんどの芥川賞も私のまへを素通りするやうでございましたなら、私は再び五里霧中にさまよはなければなりません。
 私を助けて下さい。佐藤さん、私を忘れないで下さい。私を見殺しにしないで下さい。いまは、いのちをおまかせ申しあげます。恥かしいやら、わびしいやらで、死ぬる思ひでございますが、かうしてお手紙さしあげるのも、生きて行くための必要な努力なのだ、と自身に言ひきかせて、一心にこの手紙したためました。あきらめず、なまけず、俗なことにもまめまめしく、甲斐甲斐しく眞面目につとめるのは、決して恥づべきことでなく、むしろ美しいことでさへあると信じましたものですから。
 私は、今は、私にゆるされた範囲でなすべきことは、すべて、なしたつもりでございます。あとは、しづかに、天運にしたがひます。
 寒さのために手が凍え、悪筆、お目を汚した罪、何卒おゆるし下さいませ。
  太宰治
 佐藤春夫


 生田長江氏の訃に接し、あの日、一日、なんといふこともなく生田氏譯の「神曲」を聲たてて讀んでくらしました。しんそこからがつかりしました。御胸中、深くお察し申しあげます。 再拝
  一月二十八日
  (大安の日)