アンドレーエフにたいする「公定的」記述について

大西巨人筆「「二十世紀旗手」の死」(『大西巨人文選Ⅰ』収録)には以下の件がある。

 私は、文筆家・知識人のはしくれとして、また『晩年』以下二十数冊の読者として、太宰の死に心をゆすぶられざるを得なかったままに、支離滅裂のことを忽卒に記したようである。この私の頭には、「芸術・芸術家の宿命」という忌まわしい言葉とともに、たとえば「アンドレーエフは、一九一九年、フィンランドにおいて、ソヴェト政権の最も和睦しがたい敵として、死んだ。──二十世紀ロシア・インテリゲンチアのある部分は、国の資本主義化に関連して『批判的に思惟する個性』から、『不本意ながら地主・ブルジョア体制に奉仕する専門家』へと、転化したが、アンドレーエフは、その種インテリゲンチアの典型的代表者であった。彼は、封建的・ブルジョア的文化に反抗し、あらゆる権威および因襲を『絶対的自由』と『完在なる幸福』との名において否認した。しかしながら彼は、プロレタリアートの立場に移ることができなくて、革命運動にたいして否定的態度を取った。彼の絶望的悲観主義無政府主義虚無主義の社会的根底が、そこに見出される。」というような公定的文章なども、うごめいていなくはない。
 ──ともあれ私は、太宰の屍を超えて進まねばならぬ。


大西巨人作『神聖喜劇』の「第三部 運命の章/第二 十一月の夜の媾曳/四」(光文社文庫版第二巻101頁)には以下の件がある。

 ······私は、そのようなアンドレーエフと彼の作品とにたいして、ある親密な関心を持っている。たとえば次ぎのような公定的(通俗的)論評の存在を、私が承知しているにもかかわらず。······「アンドレーエフは、一九一九年、フィンランドにおいて、ソヴェト政権の最も和睦わぼくしがたい敵として、死んだ。──二十世紀ロシア・インテリゲンチアのある部分は、国の資本主義化に関連して『批判的に思惟しいする個性』から、『不本意ながら地主・ブルジョア体制に奉仕する専門家』へと、転化したが、アンドレーエフは、その種インテリゲンチアの典型的代表者であった。彼は、封建的・ブルジョア的文化に反抗し、あらゆる権威および因襲を『絶対的自由』と『完在なる幸福』との名において否認した。しかしながら彼は、プロレタリアートの立場に移ることができなくて、革命運動にたいして否定的態度を取った。彼の絶望的悲観主義無政府主義虚無主義の社会的根底が、そこに見出される。」······
 私の考えは、目下の場面と直接には関係がないようなそういう事柄の上へも、さまよってゆく。


大西巨人作『地獄篇三部作』の「第一部 笑熱地獄」(光文社版59-60頁,光文社文庫版64-65頁)には以下の件がある。

 なお、アンドレーエフにたいする従来の言わば「公定的な」評価は、下記のごとくである。


 L・N・アンドレーエフは、一九一九年、フィンランドにおいて、ソヴェート政権の最も和睦しがたい敵として死んだ。
 アンドレーエフは、ロシアの資本主義化に関聯して、「批判的に思惟する個性」から、いやいやながら地主・ブルジョア国家に奉仕する「専門家」に転化した二十世紀インテリゲンチャの典型的代表者であった。彼は、当代のインテリゲンチャと共に、封建的・ブルジョア的文化にたいして反抗し、「絶対的自由」と「完在なる幸福」との名において、あらゆる権威・あらゆる旧習を否定した。
 しかし、アンドレーエフは、プロレタリアートの立場に移り行くことができず、革命運動にたいしても否定的態度を取った。彼の絶望的悲観主義無政府主義虚無主義思想の社会的根底が、ここに見出される。


 アンドレーエフが「公定的には」かかる作家であったという事実と、あの「『名誉心』に関する彼の言葉」とが、必然的﹅﹅﹅因果関係に立つものとは、僕は信じない。けれども、この現象の中にも、僕を不安にし・責め立てる何物かが、存在するのだ。


以上三つの大西巨人の文章には、ロシヤの小説家・劇作家レオニード・アンドレーエフ(1871-1919)にたいする「公定的文章」・「公定的(通俗的)論評」・「「公定的な」評価」が引用されている。「「二十世紀旗手」の死」および『神聖喜劇』に引用されている文言と、『地獄篇三部作』に引用されている文言には若干の差違がみられるが、同趣旨の文言である。
 大西巨人はこのアンドレーエフにたいする論評の出典を明示せず、「公定的」と記すのみであるが、出典は1938年5月に平凡社から刊行された『新撰大人名辭典 第八卷』の30頁である。執筆者はロシヤ文学者の馬場哲哉(1890-1951)であり、大西巨人が引用している文言の原文は以下の通りである。

一九一九年フィンランドに於てソヴェート政權の最も和睦し難い敵として死んだ。アンドレーエフはロシヤの資本主義化に關聯して「批判的に思惟する個性」から嫌々ながら地主、ブルジョア國家に奉仕する「專門家」に轉化して二十世紀のインテリゲンチャの典型的な代表者であつた。彼は當時のインテリゲンチャと共に封建的ブルジョア的文化に對して反抗し、「絶對的自由」と「完在なる幸福」との名に於ての、すべての權威、すべての習慣を否定したが、彼はプロレタリアートの立場に移り行くことが出來ず革命運動に對しても否定的な態度を取つた。アンドレーエフの絕望的悲觀主義的虛無主義思想の社會的根蔕がここに見出される。