- 坪内祐三『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』、新潮社、発行/2005年2月20日
装画 唐人原教久
装幀 新潮社装幀室
- 坪内祐三『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』、新潮文庫、平成二十年六月一日発行
カバー装画 唐仁原教久
挿画 唐人原教久
デザイン 新潮社装幀室
小学校時代 1965―1971 雑誌が私の学校だった
初めて買った雑誌はど『冒険王』と『少年画報』だ*1
あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい〝総合雑誌〟だった*2
『別冊ゴング』の「ゆずってください」欄に名前が載った*3
『ゴング』の「読者の誌上会見」を毎号熟読玩味した*4
『漫画讀本』を知ったのはジョン・F・ケネディの暗殺の日だった気がする*5
祖母が愛読していた週刊『TVガイド』*6
中学校時代 1971―1974 いよいよ雑誌にはまっていった
『週刊ベースボール』でヤクルトアトムズのペピトーンの顔を知った*7
『スクリーン』に載った幻の「荒野の七人」(第四作)の予告*8
生まれて初めて定期購読したのは『キネマ旬報』だった*9
日比谷の不思議な「三角洲」で見つけた二つの映画雑誌*10
『平凡』より『明星』の方が垢抜けていたような気がする*11
昼休みによく相撲をとった私は『相撲』を愛読した*12
高校時代 1974―1977 いわゆる「雑誌の時代」にリアルタイムでドキドキ
出来たばかりのBIGBOXの古本市で買った『COM』のバックナンバー*13
林静一が表紙デザイン担当だった『ガロ』が忘れられない*14
高校一年生にはレベルが高過ぎた『宝島』を何度も眺めた*15
ディランに目覚めて手にした日本版『ローリングストーン』*16
『ニューミュージック・マガジン』の内田裕也の文章にガツンとやられた*17
一見ミーハーな『ミュージック・ライフ』のインタビュー記事はロックしていた*18
『週刊読売』の横尾忠則のアヴァンギャルドな表紙*19
エロだけでなく読物も充実していた『週刊プレイボーイ』と『平凡パンチ』*20
『月刊PLAYBOY 』に日本版「ニュージャーナリズム」を感じた*21
予備校時代 1977―1978 いつのまにか読書家になっていた
いかにして私は文春小僧となりしか*22
実は『面白半分』を愛読していたわけではない*23
時代の新しさに対応していた『本の雑誌』のアマチュアリズム*24
『マスコミひょうろん』から『噂の眞相』へ*25
大学時代 1978―1983 チッと思いながらも実は新しいものも好きだった
〝たしかに冬樹社という時代があった〟『50冊の本』*26
『カイエ』『海』『ユリイカ』の三誌鼎立に何かが始まる予感があった*27
一九七九年の『ハッピーエンド通信』*28
『ブルータス』の読書特集号は読み応えがあった*29
出版社のPR誌のことも忘れてはいけない*30
現代版『洋酒天国』としての期待に応えた『サントリークォータリー』*31
「新言文一致」時代のインタビュー誌『スタジオ・ボイス』が新鮮だった*32
就職試験を受ける頃に創刊された『BOOKMAN』*33
私は学生ミニコミ誌『マイルストーン』編集部にいた*34
あとがき
解説 群ようこ