『大西巨人文選 2 途上 1957-1974』(みすず書房/1996年11月29日第1刷発行)
1957
1958
- 長谷川四郎素描
戦争、敗戦、抑留、被占領、またそのそれぞれの下で、あるいはそのそれぞれを超えて、生きかつ死なねばならぬ人間たち、──
1959
- 戯曲『運命』の不愉快
- 批評の弾着距離
- 批評家諸先生の隠微な劣等感
- 映画『尼僧物語』について
- 大江健三郎先生作『われらの時代』
- 映画『わらの男』について
- この人のこと
- 『海賊の唄』のこと
1960
1961
- 規約第六十三条のこと
1963
- 二、三の挿話
- 映画『陸軍残虐物語』について
1964
- 巌流井上光晴
1969
- 詞の由来吟味
- 論理性と律動性と
1970
- 観念的発想の陥穽
- 『写実と創造』をめぐって
- 凶事ありし室
1971
- 軍隊内階級対立の問題
- 文部大臣への公開状
- ふたたび文部大臣への公開状
- 『レイテ戦記』への道
- 緑雨作「小説」一篇
1972
- 語法・行文における破格の断行
1973
- 学習権妨害は犯罪である
- 「学校教育法」第二十三条のこと
- 杉田久女の一句
- 作者の責任および文学上の真と嘘
1974
- 冠辞「水薦苅」
- 道楽仲間の 面汚し
おくがき
巻末対話 共産党との関わり・その他(武藤康史・大西巨人)
「国際派」の人たちから言うと、お家騒動に例えると、宮本顕治が殿様の種を受けた本当の嫡子だと。徳球分派のほうは庶子だというようなことで、宮本を言わば「王子」様みたいに守っとったんです。そのころは中野重治ほかみんなが、非転向の闘士ということで宮本を立てとったわけですね。
だいたいね、「宮本・大西論争」って言うでしょう、そんなのね、宮本が正しいことを言っとって大西は変なことを言っとる、あるいは理屈に合わんことを──そういうことじゃないんですよ。畏れ多くも非転向の王子宮本顕治様に、その神様のような人に対して、それよりも若造の、田舎からぽっと出てきた、ろくに業績もねえようなやつが食ってかかるとは何事かちゅう、それだけです。そう言うんですから、会議で。だからね、論の中身とかなんとか関係ないんです。論の中身をもしまじめに調べるなら、それはね、上天気の日に、私は今日は天気がいいと言うとるのに対して、宮本は今日は雨が降ってるって言うとるだけのことなんですからね。しかし、神様の言うことは聞けちゅうことなんですよ。それだから天皇なんですよ。
「【共同インタヴュー】大西巨人に聞く 小説と「この人を見よ」」(『批評空間』第Ⅱ期第24号/2000年1月)に似た談話がある。
『悪霊』の第一部に「ハリー王子。縁談」という章がありますが、宮本顕治は当時の共産党内「国際派」の「ハリー王子」でした。御家騒動で言うと、殿様(すなわち「一九五〇年分裂」以前の日本共産党)のお手のついた腰元が生んだ息子のようなもので、だからみなが宮顕を守っていた。当時の宮顕の一挙一動は獅子がたてがみを振るような有り様で、中野さんも含めて誰も逆らい得ない、という具合でした。
単行本収録覚書
大西巨人文選2 月報 1996・11
- 〈嘘(非事実ないし非真実)〉をめぐって