山内祥史「解題」(『太宰治全集第一巻』〔筑摩書房/一九八九年六月十九日初版第一刷発行〕pp.490-491)*1
「六月廿日」に納本されると、太宰治は、山崎剛平からの電報で砂子屋書房に駈けつけ、奥付に直接検印を捺していったあと、献呈用の『晩年』を持って帰宅。座敷一杯に『晩年』を拡げて、見返しに、先方の名と署名とのほかに「とっておきの文句をいちいちしたためて」(檀一雄)いった。檀一雄の「知られざる太宰治」によれば、「そのときは大酒を飲んで、その相手に、いや味のあらん限りを、ウワベだけ綺麗ごとにして、書くんだ。リンゴの頬っぺたの色を思い出すよとか······、何だとか。二十円が十円に値切られたうらみだね。太宰の智恵のあらん限りをしぼって、相手を罵倒して書くんだが、そのウワベの美辞麗句とその中のトゲを自慢していたよ。ほめられた相手は、なかったな。」という。以下判明している「文句」を引用しておくと、つぎのようになる。
川端康成宛 月下の老婆が「人になりたや」酔ひもせず。
亀井勝一郎宛 朝日を浴びて、赤いリンゴの皮をむいてゐる、ああ、僕にもこんな一刻。
原貢宛 私の父は貴族院議員として開院式に臨んだその夜急逝しました。生前、原敬氏ひとりを尊敬してをりました。
尾崎一雄宛 オマへヲチラト見タノガ不幸ノハジメ
竹内俊吉宛 あざみの花がお好きとか······
豊島与志雄宛 ツネニ、ワガ心ノ一隅、暗鬱ノカゲ、キミノカゲラシ。
檀一雄宛 生くることにも心せき、感ずることも急がるる。
今官一宛 誠実、花咲いては愛情、仕事場に在りては敬意、燃えては青春、夜、夜、もの思ふては鞭。誠実、このぎりぎりの一単位のみ跡にのこつた。
伊馬鵜平宛 佐藤さんからは温かく大いなるギリシヤ王道を、井伏さんからは厳酷恐恐のスパルタ訓練を而して伊馬さんからは人間本来の孤独の姿を。
中村地平宛 みんな みんな やさしかつたよ。
藤田家宛 御一家ヲ、コノゴロ夢二見マス、不思議、ホトンド毎夜。十年間、黙々御支援、黙々深謝。
中野嘉一宛 ひとりゐてほたるこいこいすなつぱら 君は私の直視の下では、いつもおどおどして居られた。私をあざむいた故に非ずして、この人をあざむいてゐるのではないかしら、といふ君自身の意識過剰の弱さの故であらうか。私たち、もつときつぱりした権威の表現に努めようね。
小館善四郎宛 ワレヨリカナシミフカキモノ
小館保宛 自信モテ生キヨ 生キトシ生ケルモノ スベテ コレ 罪ノ子ナレバ。A氏「ワレヲ罪セヨ、ワレ七度ノ七十倍、虚栄ノイツワリノ約束シテ、シカモ七度ノ七十倍、約ヲ破リヌ」B氏「アア、ワレヲ殺セヨ、ワレソノA氏以上。ワレハA氏ヲアザムキシコト無数。」C氏「ソノB氏ヨリ、アスカヘスト、マツカナイツワリ言ウテ、七十円カリタルモノ、私。」
平岡敏男宛 一家のまをし子、一村の神童、一郡の天才、一県の秀才、知事賞、一都の麒麟児、諸家の注目、一国の屑。
小山祐士宛 長江 立ちつくし 物を思へば ものみなの ものがたりめき わがかたに 月かたぶきぬ
上田重彦宛 君と逢ひ思ふことあり 蚊帳に哭く
中谷孝雄宛 花は散る、中谷さん、あなたは松だ。
〝資料と文献の鬼〟*2として知られる山内祥史は太宰治研究における第一人者であるが、『太宰治の年譜』が2012年12月に刊行された。