忘れ得ぬ人びと/小山清

栗原幸夫「忘れ得ぬ人びと 小山清」(『わが先行者たち 文学的肖像』〔水声社〕pp.363-4)

 作家の小山清さんが亡くなった。長いこと失語症で、作品も見ることができなかったけれど、ああいう作家が、この国のどこかに、ひっそりと生きていると考えるだけで、なんとなく人間というものがいとおしくなるような、そういう作家だった。
 小山さんにお会いしたのは、七年ほど前、ただ一度きりだったが、わたしの編集者生活のなかでも、忘れがたい思い出の一つになっている。道に迷って歩きまわった夏の日の熱かったこと、やっとたどりついたお宅が新しい都営(?)住宅で、新婚というような、いかにも初々しい感じの奥さんが出して下さったサイダーがおいしかったことなど、それはいわば思い出の附録の部分だが、忘れがたいのはやはり、太宰治を語るときの小山さんだった。
 太宰治についての短い原稿をお願いするのが、その時のわたしの目的だったから、話はとうぜん太宰のことになったわけだが、太宰について話す小山さんは、ほとんど死んだ恋人を追想するように話すのだった。その頃すでに小山さんは、それから間もなく彼の生活そのものを破壊することになった病いの前ぶれにとらえられていたのであろう、涙が感情とは関係なく流れ出るようで、それを手のひらでこすりながら、太宰について語るのだった。
 少し離れたバスの停留所まで小山さんはわたしを送ってくれた。マッチ箱のような家が並んだ道は、ばかにドブ板が多く、そのドブ板をふみながら、わたしたちはやはり太宰のことを話した。「あなたは太宰さんにお会いになったことがありますか」と小山さんが聞いた。わたしにも、敗戦直後の一時期、毎日毎日、太宰を読んで暮した日々があった。そのことをわたしは小山さんに話した。小山さんは、「太宰さんは、本当に民衆のなかの作家でした。あなたもお会いになれば良かったですね」と、ほとんどわたしの不幸を悼むように言った。ああいう声を、それから今まで、わたしは聞いたことがない。
[「有題無題」、『日本読書新聞』一九六五年三月一五日号]