水道橋博士による福田和也批判

  • 福田和也の世間の値打ち」第392回/「グーの音も出ない傑作「息もできない」」(『週刊新潮』2010年4月15日号〔p.108-109〕)

「賞を獲ればいいってもんじゃないけど、これは凄いよ、作品として。ヤン扮する取立屋のサンフンの無軌道な暮らしと女子高生ヨニ、サンフンの甥のヒョンイン、三人の絡みでストーリーは展開していく。サンフンは、暴力団代貸格なんだけど、無意味に暴力的で、学生たちのピケを崩しに行く時も手下の若い連中まで殴ってしまう。ヨニと知り合うのも、道路ですれ違い様、吐いた唾が彼女の制服のネクタイにかかったから。文句を言うヨニの頭を殴りつける」
「非道いですね」
「そのやりとりを見た警官二人が来ると、それもぶちのめしてしまう」
北野武作品みたいですね」
「たしかに。手下の新人取立屋に『高校生か』と訊くギャグとかは、北野っぽいけど、暴力シーンは、ヤン・イクチュンの方が、数倍キレがいい。北野の場合、暴力的なのはいいんだけど、その底にあるものが見えてこないでしょ。あっても希薄だけど、ヤンの方はそこがしっかり描かれている。空回りしていない」
「北野さんは、映像美に流れるところがありますけどね」
「ヤンの場合も、市街や雑踏を映しつつ、ギターの音だけを流すような、思わせぶりなところはあるんだけど、構成が骨太だからそんなに気にはならない。人間関係とその距離感の描写も見事。ヨニ役のキム・コッピも素晴らしい。目に力があって、表情が豊富で。強がりながらも、よすがを求める少女を生々しく演じている」

99点
溢れる感情と暴力の結晶をまき散らした才能は95点、キャスティングに応えた俳優たちの圧倒的演技、表情に90点、仕事も用事も放り出して、駆け出すべき必見度99点

 とはいえ、実際の作品の出来はどうだったでしょうか。
 前作の結末──山王会初代会長を謀殺して、加藤(三浦友和)が二代日を継ぐ──から五年後、山王会は隆盛を極め、国政にまで影響力を及ぼすほど、力を蓄えている、という状況から、物語は始まります。
 しかし、政治家なり官僚なりの描き方があまりにも類型的で、ポンチ絵にもなっていない。とても「本編」と呼ぶことが出来ないような演技で──国交省(?)でロケをしているとおぼしいが──失笑を堪えるのには努力が必要です。
 加瀬亮演じる山王会若頭・石原の存在感が、映画の前半を牽引していきますが、それでも「ガタガタぬかすと洗いざらいマスコミにぶちまけるぞ」というようなセリフの解りやすさ、平俗さは、ある意味ですさまじい。
 というよりも、ここで発せられているのは、「セリフ」と呼べるようなものではない、と考えるべきなのかも知れません。
 状況説明を担わされた会話と怒号、恫喝だけで、音声空間は構成されている、と言っても過言ではない。

 〔…〕

 刑務所から出てきた大友(ビートたけし)は「もういいんだ」と語るが、その恬淡さが突然、凶暴さに取って代られ、凄惨なリンチをしかけ、あるいは拷問を試みる。その豹変ぶりが腑に落ちない。
 さらに、刑事片岡を演じる小日向文世の存在が、便利に過ぎるように思えて仕方がありません。
 片岡は、大友のボクシング部の後輩であり、山王会に食い込み、賄賂をとりながら、関西の花菱会──会長の布施(神山繁)、若頭の西野(西田敏行)は、贅沢な配役でした──をそそのかして、山王会の二代目を追い落とし、元村瀬組の木村(中野英雄)を使嗾する、という人物。
 つまるところ、この映画は、片岡という便利な狂言回しによって支配され、案の定という形で幕を閉じます。

40点
説明過多と怒声、罵声ばかりのセリフは辟易の22点アウトローの生活文化不在は脱力の30点小日向文世の存在感は60点

  • 「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.511/「「55歳定年制」も今は昔──人生80年時代は結構ツラい」(『SPA!』2013年5月21日号〔p.130〕)。

福田 そういえば『週刊文春』で適菜収が「今週のバカ」って連載を始めたでしょう。アイツももう40近くだけど。
坪内 水道橋博士も『週刊文春』で連載始めてたけど、今の編集長の新谷学さんって結構激しいよね。だって、椎名誠さんの連載を切っちゃったでしょう。椎名さんのクラスになると、ユルいのを書いても切られなかったのにね。
福田 ワタクシも『週刊新潮』の連載、そろそろマジメに書かないと。でも、水道橋博士の『藝人春秋』って、かなり荒っぽい本だよね。落語の雑誌に連載してたのをまとめて適当に書き足しただけだから。
坪内 『笑芸人』に連載してたんだっけ?
福田 そう。自分の周りの芸人のプロフィールを書いたような本。あれを読んで「泣ける」とか言ってるヤツもいるけど、ワタクシは1000年たっても泣かないね、あの程度の文章じゃ。
坪内 浅草キッドの本なら、『お笑い男の星座』のほうがよかったと思うんだけど。

いずれ、また絡んでくるのが、彼の手法なので、
その時には完全に証拠を固めて叩く。


とは言え……。
よく考えれば、会って堂々と話せばいいのだ。
「先生、間違ってますよ!」
と相手の目を見て言えばいいのだ。

敵の牙城に乗り込んで


西村 僕が『ニッポン・ダンディ』を降板したのは、ひとえに仕切りの悪さなんです。ひょっとしたら博士はスタッフとディスカッションしながら出演されてるのかもしれませんが、僕の場合は司会者とスタッフが勝手に決めたニューステーマについて語るだけで、全体的に蚊帳の外だったんです。四月から放送時間が短縮された際も、それすら教えてもらえなかったという不思議さ。当日、なぜか五分早く終わって初めて知りました。その上、七月から『ニッポン・ダンディ』の水曜と金曜を隔週で巡回する形で出演することになってたんですよ。
博士 じゃあ、僕と一緒に出るはずだったんですか。
西村 ええ、金曜には博士と絡ましていただく流れだったんです。でも、こっちにも予定ってもんがあるでしょう。火曜日ということで引き受けている話なのに、突然「水曜と金曜に」と言われても困るんですよ。
博士 スタッフから出演者をシャッフルするつもりだと聞かされた時、僕は「福田和也にしてくれ」って言ったんですよ。福田和也に毎週会って本人に当てたい、と。何の理由があってあなたはここまで言えるんだ、って。僕が間違ってるんだったら「先生、僕が誤解してました」って言うし、いきなり殴ったりはしないから、金曜日にしてくれ、って。俺が言ったのはそれだけですよ。もちろん、明らかにおかしいことはおかしいって言いますよ。『藝人春秋』について「落語の雑誌に連載してたのをまとめて適当に書き足しただけ」と言われたけど、めちゃめちゃ手をかけてますよ。発表誌から三回書き換えて、ほぼ十年かかってる本ですから。それを「ワタクシは千年たっても泣かないね」って言われたら、別に泣かせようと思って書いてるわけじゃないけど、これから書き手として少しでも前に行こうと思っている人間はじゃあどうやったらいいんですか。そういうのを直接聞いてみたいですよ。 
西村 しかし、博士と福田和也が並ぶというのも面白かったかもしれないですね。
博士 面白いでしょ? そう思って『en-taxi』にも来てるんだから。
西村 わはは、敵の牙城に(笑)
博士 どうせだったら伸ばしてほしいよね。「読んでみたけど『千年』を訂正して謝ります。二万年はあなたの作品をワタクシは認められません」とか。そうなってくると面白くなってくるよねえ。

 この映画(『息もできない』)は素晴らしいんですけど、批評のなかの問題を言うと、この映画を評してですよ、この番組のちがう曜日の福田和也さんが、北野映画の最盛期の百倍すごいって書いてて、それにめちゃくちゃ俺怒ってるんですよ。なわけないじゃないですか、北野映画の影響下にこれ作ってるんだから、どんだけトンチンカンなんだって、俺はそこに怒ってます。月曜日ですよね。言っといてくださいよ、その根拠どこですかって。というか、バカじゃないかと思いますよ、本当に。何を根拠に百倍って言ってんだか。

  • 「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」」VOL.692/「坪内特番 ゲスト・亀和田武(コラムニスト) 〝ポスト池上彰〟のキャスターはフジテレビの反町理かもね」(『SPA!』2017年12月5・12日号〔p.142〕)。

坪内 SEALDs関連で最悪だったのは高橋源一郎だよ。高橋源一郎の若者のおだて方はひどいし、責任逃ればっかしてるよね。
亀和田 文化人が「我々は若者たちの行動を支持する」と声明を出すのは、大江健三郎以来の悪しき伝統だよ。それはないだろうと。それだったら無名の民衆、市民ではなく民衆として、その場に足を運んで、どさくさ紛れに警官隊に罵声を浴びせて突入しちゃう。それをやんないと駄目だと思いますよ。
坪内 オレはデモには行かないけど、大相撲の優勝パレードや時天空の葬式には一人の市民として参加してるよ。
亀和田 あと、やっぱり危ういなと思うのはいとうせいこう。すぐに「3・11以前/以降」と言う人たちがいるでしょう。何だろうあれはと。震災をテーマに小説や評論を書くにはよっぽど腹を括んなくちゃいけないはずなのに、みんなネタとして使ってるよね。