絓秀実ツイート注釈②

絓秀実+島田雅彦安吾流行はやるべからず」(『早稲田文学』2000年5月号)

 〔…〕ぼくの住んでいる家は、戦後のそういうジャンク建築なんですよ。池部陽という日本の団地をつくった奴がいてね、団地サイズをつくるわけ。池部陽が何を考えたかというとね、四畳半といっても一畳を狭くするんですよ。それで四畳半つくる(笑)。
島田 団地サイズってやつね(笑)。
 その弟子の女性がつくった家なんですよ。モダニズム建築なんですけれどもね。雨漏りはする、シロアリには食われる、もう改装費がめちゃくちゃかかるんですよ。考えるとジャンクですよね。彼女がなにを造りたかったかというと、天井にパイプを張りめぐらしたかっただけ(笑)。あとはハコモノなの、たんなる。当時のあたらしい材料すべてを使うから、地震には強いのかもしれないけど、マイナーな部分ではジャンクなのね。大地に対する対抗軸はめちゃくちゃ強いのに、ディティールになるととんでもないジャンク建築。それを改修するために十年ぐらいかかってる。十年かかって改修したと思ったら、こんどはどこか腐りはじめたとかで(笑)。とんでもない家なんだけど、まさに戦後のモダニズム建築は、そういうのに主導されてきたわけじゃない。そこには地震だけには強いよっていう考えがあって、体育館が使うような太い鉄柱を地下に埋め込んである。確かに地震には強いだろう、しかしディティールがどんどん腐食してくるわけね。モダンがポスト・モダンにかわって、ちっちゃいところからがんがん腐食されてくる。最終的にひどかったのはさ、廊下というか部屋があるんだけど、金がなかったから窓をサッシじゃなくて木にしたんですよ。ところが台風が来たら水浸しになっちゃった、そこが(笑)。もう嵐のような感じでね、じゃぼじゃぼ水が······。
島田 なんか、すごいたのしそうだね(笑)。
 五センチぐらい水がたまるんですよ。しょうがないからガラスを割って、木枠をはずしてサッシにしたんだけどさ。大丈夫ですといっていたんですよ、木枠で。ぜんぜん大丈夫じゃない(笑)。地震という大きい物語をいちおう抑圧したかもしれないけども、アリから台風ぐらいまでの小さい物語はどんどん侵食してくる。これはほとんど戦後の日本、端的には六八年以降の日本だなと(笑)。

石川義正の「絓秀実の「家」」*1によれば絓秀実の坂戸市の自宅の設計者たる「池辺(の弟子)」とは1955年から1962年まで池辺研究室の室員であった高橋公子(1932-1997)である。また、絓秀実の小千谷市の実家は池辺陽設計の〝NUMBER 50〟であり、『池辺陽再発見 全仕事の足跡から』(彰国社)に写真が掲載されている。

*1:『子午線 原理・形態・批評』vol.1