荒井晴彦✕坪内祐三

坪内祐三亀和田武「追悼の伝統を貫く「映画芸術」が偉い!」(『本の雑誌』2013年6月号)

 「映画芸術」は荒井晴彦編集長が、私財をなげうって、「もう金が無いんだよ!」と言いながら出してるんですけど、追悼特集が充実してるんですよね。「追悼雑誌などという本誌への軽い揶揄があるが、逝去した映画人を送るのに精一杯のページを映画雑誌が費やすのは当然」だ、と荒井晴彦が書いてるくらいに。
 すごいですよね。毎号かなりの読み応えがあって。
 〔…〕
 正解でしたね。それにしても「映画芸術」は本当に一貫してますよね。三島の死から四十年以上たっても、追悼雑誌の伝統を守り抜いてるのが素晴らしい。今こんな雑誌、ほかに成立しないでしょう。だから俺、早く荒井さんの追悼文を書きたいんだ(笑)。「映画芸術」がいつまでもつかわからないけど、荒井さんが生きてる限りは続けてほしい。追悼号が出るうちに死ぬのと追悼号が出ない可能性があって長生きするのと、どっちを選ぶかだね、荒井さん。
 坪ちゃん、自分がその立場だったらどうする?
 えっ、俺、長生き系だから(笑)。


坪内祐三の読書日記/『大阪』『神戸』『土佐』あのシリーズは一体何冊刊行されたのだろう」(『本の雑誌』2013年6月号)

「赤いドリル」さんのコーナーに七〇年代末の『映画芸術』が平積みされている。この頃の(つまり小川徹が編集していた)『映画芸術』は本当に面白い(もちろん今の荒井晴彦さんが編集している同誌も面白いが)。


荒井晴彦「編集後記」(『映画芸術』2013年秋号第445号)

 「本の雑誌」で「追悼号が出るうちに死ぬのと追悼号が出ない可能性があって長生きするのと、どっちを選ぶかだね、荒井さん」と坪内祐三が言っていた。長生きしたいけれど、追悼文書く人がいなくなってるというのも、ちと寂しい。(A)


坪内祐三「何故この小特集を作ったのか」(『en-taxi』Vol.40 Winter2014)

 そもそもこれは私の二十数年来の知人である小沢信男さんから来た手紙に始まる。
 その手紙によると、ある雑誌すなわち『映画芸術』で『風立ちぬ』の批判特集を行なうので五枚から十枚の原稿を、という注文を受け(その段階では小沢さんはまだ『風立ちぬ』を見ていなかった)、引き受け、見に行ったら感銘し、それを率直に十二枚書いたら、ゲラになってから注文がつき、それに怒った小沢さんが原稿を引き上げ、改めて「投稿原稿」として私の元に送られて来たのだ。
 〔…〕
 異なる見解を認めず、それを排除すること、私の認識ではそれは、スターリニズムだ。
 『映画芸術』を荒井晴彦の雑誌だとすると荒井晴彦はいつからスターリニストになったのだろう。
 最新号の「編集後記」の巻末で荒井晴彦は、
 〈「本の雑誌」で「追悼号が出るうちに死ぬのと追悼号が出ない可能性があって長生きするのと、どっちを選ぶかだね、荒井さん」と坪内祐三が言っていた。長生きしたいけれど、追悼文書く人がいなくなってるというのも、ちと寂しい〉
 と書いている。
 荒井晴彦は私よりひと廻り年が上だから、順当に考えれば荒井晴彦の方が先に死ぬ。その時私は荒井晴彦の追悼を書かないだろうし、『エンタクシー』が続いていたとしても「ラストワルツ」で荒井晴彦の追悼を依頼しない。だが福田和也が誰かに頼んだとしても私はそれを止めはしない。私はスターリニストではないから。


坪内祐三福田和也「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」VOL.535/メディアで騒がれなかったけど、こんな凄い人たちも亡くなった」(『SPA!』2013年12月24日号)

坪内 この人は「俳人」とも書いてあるけど、オレ、現代俳句はほとんど知らないから。そうそう、文芸評論家といえば、オレと福田さんが同時に敬愛する文芸評論家の絓秀実さんと久しぶりに会ったんだよ。絓さん、ブレてないなと思ったのは、「ツボちゃんさ、荒井晴彦の追悼、書いてよ」って言ってきたわけ(荒井晴彦氏はご存命ですが、詳細は『en-taxi』最新号を参照)。絓さん、さすがだよ。
福田 絓さん、一時は本当に死にそうだったからねえ。奥さんに逃げられちゃって、焼きそばとラーメンばっかり食べて。それもインスタントばかり。


坪内祐三「酒中日記 第八十三回/新宿の白川郷がホテルとして残っていたのか!」(『小説現代』2014年1月号)

十一月三十日(土) 〔…〕絓秀実すがひでみさん御一行がやって来て、絓さんが私に、ツボちゃん荒井晴彦あらいはるひこの追悼書いてよ(『エンタクシー』最新号の特集「『風立ちぬ』の時代と戦争」に附記された私の一文参照のこと)と言ったら、「風花」の紀久子きくこさんが、えっ、荒井さん亡くなられたの!? と驚く。


上野昻志「2013年日本映画ベスト&ワースト」(『映画芸術』2014年冬号第446号)

 どうなんだよ、男どものこの体たらくは、え? 荒井晴彦編集長。もっとも、あなたも『風立ちぬ』特集で、小沢信男さんの原稿をボツにした件に関しては、きちんとした態度表明をしなきゃならない立場だけどな。


坪内祐三高崎俊夫「映画雑誌をめぐる果てのないおしゃべり」(『キネマ旬報』2016年3月下旬号)

高崎 作家の小沢信男さんも70年代に結構書いていますよね。『東京の人に送る恋文』(75/晶文社)に入っていますが、「『戸田家の兄妹」を二度観て」なんて素晴らしかったですね。
坪内 小沢さんって『映芸』の大功労者だよ。その人の「風立ちぬ」(13)評を『映芸』がボツにするんだから。全員でこの映画を批判しなさいって変だよね。小沢さんって実は激しい人なんだよ。だからぼくのところに手紙が来て「もしよければ坪内さんが編集している『en-taxi』(03〜15/扶桑社)で掲載してもらえないか」って。それで「スターリニズムだ」荒井晴彦が死んでも「追悼を書かないだろう」と書いたら一部で話題になってね。でもねえ、荒井さんって文章がすごくいいんだよね。『争議あり─脚本家・荒井晴彦全映画論集」(05/青土社)っていい本でしょう。いま『映画芸術』は荒井さんの編集後記を最初に読むよね。