呉智英の錯乱

呉智英インタビュー「『大衆の原像』異論」*1

 私も本に書いていますが、典型的だったのが「花田-吉本論争」ですね。花田清輝という文芸評論をやっている思想家がいて、戦前は力を持っていて、戦後も一九六〇年ごろまで、文化左翼に対して非常に強い影響力を発揮していたのですね。彼は戦争中に共産党員として活動しながら、ある時期転向し、国策協力の思想家の一人になるわけです。戦後、無傷のまま再度共産党に関与し、新日本文学などをつくり、最終的には民主文学をつくったりします。民主文学というのは、新日文から分かれた共産党系のグループなのですが、花田清輝は政治的には最後まで共産党員でした。花田の言論がどういうものかというと、端的に労働者は団結せよというようなことを言うかというとそうではなく、非常に晦渋な、韜晦したレトリックを使う。だからこそ文化左翼やインテリ左翼が、花田に傾倒していくことになります。

  • 戦前は力を持っていて⇒根拠不明。戦前は知る人ぞ知る存在でしかなかったであろう。戦前刊行の著作は1941年7月の『自明の理』のみ。
  • 戦争中に共産党員として活動⇒戦前・戦中は共産党に加入していない。
  • ある時期転向し⇒根拠不明。
  • 無傷のまま再度共産党に関与⇒仮に転向していたら無傷ではありえない。
  • 最終的には民主文学をつくったり⇒『民主文学』に関与していない。『民主文学』は新日本文学会からの離脱者らによって1965年11月に創刊。花田は1966年4月30日に新日本文学会幹事会で、常任幹事および議長に選出された。*2
  • 花田清輝は政治的には最後まで共産党員でした⇒1961年に共産党から除名。詳しく記せば、1961年9月6日に日本共産党中央統制監査委員会が決定し、12月13日に日本共産党中央委員会幹部会が確認した除名処分が、12月22日に「処分決定」通知された。*3

*1:『総特集 吉本隆明 詩人思想家の新たな全貌』p.196

*2:花田清輝全集』別巻Ⅱp.181

*3:花田清輝全集』別巻Ⅱp.174