坪内祐三「長編随筆 あんなことこんなこと 第11回 赤瀬川原平さんのこと」*1に下の記述がある。
次の『エンタクシー』の連載はどなたのことですか、と田中編集長に尋ねられた(いつの間にかこの連載は長文の追悼になってしまっていた)。
〔…〕次回の連載はTさんのことで行こうと考えていた。
去年(二〇一三年)の十一月五日に八十五歳で亡くなられたTさんは世間的にはさほど知られていないが、凄い歴史を持っていた人だ。その人のことを書こう。
と思ってはいたものの、赤瀬川さんのことが、その「偶然力」が私の頭の中でウズを巻いていた。
だから、田中編集長に、私は、まだわからない、と答えた。
十月二十七日、月曜日、〔…〕新聞各紙に赤瀬川さんの大きな訃報が載った。
『小説現代』2014年1月号掲載の「酒中日記 第八十三回」*2に下の記述がある。
十一月五日(火) 〔…〕
「猫目」 の佳菜子 さんからのメールで竹田正一郎 さんが亡くなられたことを知る。ショックだ。あれは二ヵ月、いや三ヵ月前のことだ。竹田さんから手紙(というよりエッセイ──私は時々竹田さんからエッセイを受け取った)が送られてきて、そのエッセイは今までのような創作的なものではなく三島由紀夫 や稲垣足穂 、開高健 らとの交遊(かなりディープな)が語られていた。形を整えて、ぜひこれを『エンタクシー』に、と私は考えた。竹田さんはいつも「猫目」の口開けの客で(一時間弱で帰られてしまう)、早い時間に行った時に竹田さんに会えるのが楽しみだった。最近(つまりこの手紙をいただいて以来)お目にかかってないな、と思っている内に、この訃報を目にした。