〝非武装攻撃〟の人

坪内祐三の読書日記/「ホリエモン」が愛読した百科事典は二十数冊で百万円!」(『本の雑誌』2005年6月号、『本日記』)

三月十九日(土)
 〔…〕三時過ぎ、東京堂書店ふくろう店で店員さんに仕入れた古本の値段を記入してもらっている間に、『サイゾー』の最新号を立ち読み。各界の噂やゴシップの特集だが、文壇関係の噂の情報精度の低さに驚く。新宿の文壇バー「風花」の敷居が高いなんて知ったかをこいていて、しかも、その「風花」で絓秀実と佐藤正午が殴り合いのケンカをしたんだって。長崎在住の佐藤正午がわざわざ上京して、わざわざ夜の新宿にやって来て、わざわざ「風花」に顔を出すわけはないよ(佐藤さんのエッセイ──実は私は愛読者──を一篇でも読んでみな)。「風花」で絓さんとケンカしたのは佐藤は佐藤でも佐藤洋二郎の方だよ。それに、さらに正確に言えば、絓さんは〝非武装攻撃〟の人だから、「殴り合い」ではなくて一方的に殴られただけ。


坪内祐三福田和也「文壇アウトローズの世相放談「これでいいのだ!」VOL.390/業界外からは窺い知れない世界、「文壇バー」は今どうなっているか」(『SPA!』2010年6月8日号)

福田 直接的コミュニケーションね──「風花」でも、一時はよく作家とか編集者が直接的に殴りあってました。
坪内 たいてい絓秀実すがひでみさんが流血してる。絓さんって、本人は殴らないんだよ。殴られるまで、とにかく怒らせるの。
福田 ワタクシが最初に「風花」に行ったとき、絓さん、山崎行太郎に殴られてたもん。
坪内 絓さんが殴られるじゃない、それで血だらけになるじゃない。するとね、なぜかいつも島田雅彦さんが居合わせて、その血をハンカチで拭いてあげるの。「島田さん、いつも大変だね」って言ったら、「僕は風花のナイチンゲールです」って。
福田 わははは。
坪内 「風花のナイチンゲール」と言ったよ。


坪内祐三佐伯一麦「酒中対談/作家と酒」(『小説現代』2010年10月号)

坪内 「風花」に行くと絓秀実すがひでみさんがよくいるじゃない。そうするとかならず血の雨が降るというね。俺がすごく好きなのは、絓さんは言うことは言うわけ。でも、絶対に手は出さないんだよね。なんて言うんだろう「非武装攻撃」とでも言うのかな(笑)。
佐伯 そうなんだ(笑)。僕は居合わせたことはないけれど、情景は浮かぶな。
坪内 あれは好きだったよ。武装してないのに、攻撃するというね。やられちゃうに決まってるのに。しかも、けんかになるときにかぎって、なぜか島田さんがいてね。血だらけになっているのをいてあげているという。
佐伯 本人いわく「僕は『風花』のナイチンゲールだから」と(笑)。


福田和也「罰あたりパラダイスVOL.115/文壇の猛者たちが激闘を繰り広げてきた文壇バー『風花』二十周年パーティの夜」(『SPA!』2000年5月31日号、『罰あたりパラダイス 完全版』)

 舞台では、山田詠美さんが挨拶している。「私は前に新宿でバイトをしていて、新宿っていっても別にそんなに怖い事はない、って思っていたんですが、『風花』に連れて来られて、やっぱり新宿って治安が悪いんだぁ、と思いました。」
 実際、『風花』は治安が悪い。オレが最初に『風花』に来たのは、九年前、『三田文学』の先輩の山崎行太郎さんに連れられてのことだった。その日いきなり、山崎さんと絓秀実さんが殴り合いのケンカになった。その後も絓秀実さんが柳美里さんに殴られたり(*注)、絓さんが某作家に殴られて大ケガをしたり······。
「それじゃあ、絓さんばっかりが殴られているみたいじゃないですか。」
「その辺が、絓さんの気高いところでね、やたらカラムけれど物理的攻撃にはからきしというところが素晴らしい。」


(*注) 柳美里の絓秀実平手打ち事件

柳美里が上記のツイートを訂正している。

この件はまず『噂の眞相』1994年7月号の95頁に掲載されている一行情報で次のように報じられている。*1

文芸評論家絓秀実が作家柳美里に酒場で口論の末殴られ西部邁が仲裁説

それから5年後の『新潮』1999年3月号に発表された「見張り塔から、ずっと 第五回」で福田和也は次のように記述している。

 その他にも、柳さんにかかわるエピソードはなまなかのものではなくて、そういえば最初にお目にかかったのは、五年前新宿二丁目の文壇酒場でだったのだが、そこにはその日いかなる星のめぐり合わせなのか、保守の大評論家氏と、私も敬愛する文芸評論家の先輩、それに柳さんが来ていて、私の連れの編集者が大評論家氏と多少トラブルがあり、争いを好まない私はそそくさと席を立ち河岸を変えたのだが、翌日聞くところによると、案の定柳さんと文芸評論家氏とが議論から口論となり、柳さんの鉄拳が飛んだということだった。爾来、私は出来るだけ酒席を柳さんと一緒にしないようにしている。

翌月の『新潮』1999年4月号に発表された「見張り塔から、見張られて」で柳美里は次のように福田和也の記述を訂正した。

 五年前﹅﹅﹅、私が酒場で文芸評論家を殴ったのは事実であり、正確に云えば、「鉄拳」を飛ばしたわけではなく平手打ちを三回しただけなのだが、「議論から口論となり」という事実は全くなく、その場に居合わせた誰かが評論家氏に私の名を紹介したとき、評論家氏は、読んでないけど顔を見ればくだらない小説だってことが一目でわかる、とのたまったので、思わず、読んでくだらないと云われれば何とも思いませんが、顔を見てくだらないと云うあなたはよく文芸評論家と名乗れますね。はっきり云うとあなたの顔は正視に堪えないほどひどいけど、私があなたを文芸評論家として批判するときは読んでから批判しますよ、と云うと、彼はにやにや笑いながら、文芸誌に載ってるひどい小説なんて読んでられるわけないじゃない。フローベルを読んでりゃいいんだよ。ところでおまえ(柳のこと)のルックスまぁまぁだからヘアヌードでも出せばそこそこ売れるんじゃない? といったのだが、そこでも私の手は飛ばなかった、私の手が飛んだのはその直後に文芸評論家氏が私の頭を撫でたからである。
 店を出て行くと思われた文芸評論家氏は私が平手打ちをした際にはね飛んだ眼鏡を拾ってカウンターの一番隅に座って酒を飲みはじめ、その文芸評論家氏とも親しい間柄だった私のとなりに座っていた西部邁氏は、ゴキブリはたくさんいるけれど、柳さんはゴキブリを見つけるたびに潰すんですか、と仰られたのだが、私は頭に多少血が上っていたせいもあって、ゴキブリを目にしただけでは潰しません。でも私の顔の前を飛んだら叩き潰します、と語気を荒げてしまい、なんとかその場を収めようとした西部氏が文芸評論家氏に、いまのはきみがひどかった。ここにきてきちんと謝りなさい、と仰ったのだが、あたり前田のクラッカー、とふらふらと近づいてきた文芸評論家氏は顔を醜く歪めて謝らなかったというのが顛末なのであって、これが後日ゴシップ誌の一行情報として掲載され、スキャンダルとなって文壇を駆け巡っているということが私の耳に入り、皆何とゴシップに飢えているのだろうと呆れ返ったというわけではないけれど、以降用心してその手の酒場には近づかなくなったという話に過ぎない。

福田和也は「見張り塔から、ずっと」を『喧嘩の火だね』*2として単行本化した際に、柳美里からの反論を受けて先の記述における「案の定柳さんと文芸評論家氏とが議論から口論となり、柳さんの鉄拳が飛んだということだった。」を「案の定文芸評論家氏に、柳さんの平手打ちが飛んだということだった。」に訂正している。

柳美里は1999年のエッセイ「「朝日新聞」社説と「大江健三郎氏」に問う」(『新潮45』1999年8月号、『世界のひびわれと魂の空白を』)および2001年の福田和也との対談「「真の批評」の役割」(『響くものと流れるもの──小説と批評の対話』)でも次のように述べている。

石に泳ぐ魚」が「新潮」に掲載された直後、ある酒場で、「お前が柳美里か、読んでないけど顔を見ればくだらない小説だってことが一目でわかる」とうそぶいて、私とトラブルを起こされた氏が、週刊誌からコメントを求められ応じるのは、あまり*3

  〔…〕以前、ある酒場で飲んでいたときに、自称文芸評論家の絓秀実という人が入ってきたんです。入口付近に座っている大学生らしき若者に「フローベルを読んでいればいい。今の小説で読むに値する作品なんてない。日本文学は中上とともに死んだ」などと説教し、そのうち私に気づいて、「あんたの作品は一冊も読んでいないけど、顔を見ればくだらない小説を書いているということがわかる」と言い放ったので、「あんたの顔は相当ひどいけれど、あんたの作品をくだらないかどうか判断するときは、必ず読む」と言い返したんです。そしたら、「なんでおれがくだらない小説を読まなきゃならないの? そんな時間はないんだよ」とまたフローベルの話です。
 この人の言動で他の評論家を一括りにしてはいけないのですが、日本文学は衰退した、死んだ、という割には、どの評論家も読んでいない。

以上の引用から分かるのは、柳美里のツイートは平手打ちを「25年前」としているが正しくは24年前の1994年の出来事であり、「目撃者は、西部邁さんと福田和也さん」とあるが福田和也は平手打ちの前に「河岸を変え」ているので目撃していないということであり、それ以外の部分は正確な記述であるということである。

柳美里に対して「読んでないけど顔を見ればくだらない小説だってことが一目でわかる」「あんたの作品は一冊も読んでいないけど、顔を見ればくだらない小説を書いているということがわかる」と1994年に言い放った絓秀実は、その10年後の座談会「二〇〇四年日本文学回顧」(『週刊読書人』2004年12月24日号)では柳美里の小説『8月の果て』を次のように評したのだった。

  「すっすっはっはっ」という、マラソン・ランナーの呼吸の言葉を膨大にぶち込んだことが勝利だと思う。柳美里の中では、今までで一番いいと思いますよ。あとはリーダー「············」によるセリーヌ的なシンタクスの切断が、それなりに成功していると思う。ただ、この小説が歴史のシンタクスを本当に断片化して、俗な言い方をすれば、ポリフォニックな、あるいはセミオティックなレベルの言語になっているのかどうか。笙野さんの「私怨」にも通じることですが、柳美里について言えば、「ハン」で全てがまとまってしまって、そこで記述される歴史も含めて、単線的でモノフォニックなものにしかなっていないという疑念を消し去れない。

*1:一行情報ではこれ以外に「筒井康隆憎しの評論家絓秀実が『唯野教授』をエイズ差別と解同に告発説」(1995年1月号)、「新日文の絓秀実講演に解同系作家土方鐵が圧力かけ絓が反撃を準備中説」(1995年10月号)、「近畿大の文学部長に後藤明生就任で渡辺直己は呼ばれるも絓秀実は却下」(1997年1月号)、「野間新人賞の佐藤洋二郎が新宿の文壇バーKで絓秀実と大ゲンカを展開」(2000年1月号)、「絓秀実が多和田葉子似のソープ嬢にベタ惚れで多い時は週4回通いの説」(2000年8月号)と報じられている。WEB噂の眞相のNG一行情報には「スガ秀実ドキュメンタリー映画に「誰が見るんだ?」と文壇から疑問の声」(2001年1月号)、「スガ秀実が主演する左翼ドキュメント映画に浅田彰柄谷行人も友情出演」(2001年3月号)、「「批評空間」が高橋源一郎スガ秀実の論争を機にまたもや空中分解の危機」(2002年8月号)、「文芸評論家スガ秀実主演で話題の映画「レフトアローン」がいよいよ公開説」(2003年5月号)と報じられている。ただし「絓秀実が多和田葉子似のソープ嬢にベタ惚れで多い時は週4回通いの説」は明白なデマであり、編集長の岡留安則に「オレはソープなんか行ったことないし、そもそも〝純愛の人〟ですから!」と直接抗議したとのことである(「絓秀実氏との対談(2017年4月17日)・その4」)。

*2:絓秀実は『喧嘩の火だね』の書評「福田和也は「悪役」上田馬之助か」を『文學界』2000年1月号に発表しているが、そこには「福田が上田馬之助的闘いを強いられているとすれば、現在の上田が交通事故で九死に一生を得た後も深刻なリハビリ生活を送っているのと同様の意味で、福田の「罰あたり」の将来に不吉なものが感じられる。」とあり、2010年代以降の福田の著しい沈滞を予見しているかのようである。

*3:石に泳ぐ魚」の初出誌は『新潮』1994年9月号であるから8月上旬に発表されている。平手打の件を一行情報として掲載したのは1994年6月10日発売の『噂の眞相』1994年7月号である。柳美里は絓秀実とトラブルを起こしたのが「石に泳ぐ魚」発表直後であると記しているが、実際には「石に泳ぐ魚」発表以前の出来事であったはずである。「石に泳ぐ魚」が柳美里の「処女小説」であるならば、絓秀実は柳美里が小説を未だ発表していない時点で「くだらない小説」と言い放ったことになる。しかし、柳美里は小説を未だ発表していなかったのだから、戯曲ならいざ知らず、小説については「読んでないけど」と言う他なかったのである。