『大西巨人文選 4 遼遠 1986-1996』(みすず書房/1996年8月8日第1刷発行)
1986
- 国辱
- イチイの人人
- スライド制
- 待つ
- 芸術祭不参加作品
- 映画『石の花』について
- 差別の無間地獄
- 大西滝治郎の孫
- 雁のトオオン
- 巨匠
- 文学的測深儀
- 岩戸開放
- 続岩戸開放
- 非命と天寿
- 近未来の寝覚め
- 迷探偵流行
- 創氏改名
- 南波照間
- 批評の民主主義
- 初恋と死と
- 年甲斐
- 言論公表者の責任
- 居直り克服
- わが異見
- 老若の自認
- バレタ、ニゲロ
- 勧懲作品なお有用
- 「現実政策」談義
- 正直者のこと
- 生兵法
- ある「読前感」
- いつまでも子供
──私(われわれ)は、ゲーテをたいそうな「大人」と考えている。世間一般でも文芸世界でも、ゲーテを卓抜な「大人」とすることが、通念のようである。"ゲーテとベート−ヴェンとが、ワイマールかの街上で、征服者ナポレオンに行き会った。ゲーテは、にこやかに挨拶して通り過ぎた。ベートーヴェンは、つんとそっぽを向いて行き違った。さすがにゲーテは、「大人」ないし世俗的であって、なにしろベートーヴェンは、「子供」ないし反俗的であった"という「伝説」も、存在する。・・・・・・
・・・・・・しかるに、ショーペンハウエル著『意志と表象としての世界』によれば、ドイツ当代の俗人輩は、そのゲーテを「いつまでも子供だ。」と称して不当にも嘲笑した。すなわち立派な文芸家は(ゲーテすらも)、世俗の目には「子供」と映ずるのであり、またさもあるべきなのである。・・・・・・
以上のようなことを私が猪口才にも述べると、中野氏は、大いにくつろいだ口調になって、ずいぶん同感せられた。私のその言説内容──「文芸家一般(または人間一般)は、『いつまでも子供』であるべきである。」云云──は、決してその場の思いつきではなくて、過現未にかかわる私の信念であって、それは今日も変わらないが、如上のうちショーペンハウエル著にかかわる部分には、不正確があった。そこの要所を、私は、左に正しく引いて掲げる(嘲風訳)
小児は何れもどれだけかは天才で、天才は又どれだけか子供である。〔中略〕ヘルデルやその他の人は、ゲ―テを嘲って、いつまでも大きな子供だといったというが、彼らの云ったのは当たって居るが、嘲ったのは当たらない。モツァルトも亦一生子供であったと伝わって居る。
そのあとで、ショーペンハウエルは、「一生を通じて、どれだけか大きな子供でいる事が出来ず、真面目くさって、冷静で、どこまでも落ちつき払って、理性に富んだ人間は、此世界の市民として有用で又有為になり得るが、到底天才にはなれない。」とも言った。
電話で私の答えに同感した中野は、『俗見の通用』に、「作家に要るのは心臓だけだなどということはできない。彼には、強い肉体、大きなエネルギーがなければならず、ひろい知識、動じぬ度胸、古武士のような操、時には策略とその実行能力とさえもがなければなるまい。しかしむろん、それらがあったからとて逆に作家が出来るわけではない。トルストイでなくてゴーゴリを取り出してきてもいい。またきょろきょろした目つきをして若死にしてしまったガルシンなぞを持ち出してきてもいい。ガルシンと鷗外とを比べて、落着きのあるのは何といっても鷗外の方であろう。世間人として立派なのも鷗外の方ということになろう。その鷗外を十積んでもガルシンにはならぬ点、そこが違うのである。」〔筑摩書房一九六二年刊旧版『中野重治全集』第十巻所収『鷗外その側面』〕と書いた。
どちらも、それぞれの意味で、芸術家特権視の嫌いはあるものの、まずもっともである。しかし、私は、ショーペンハウエルとも中野とも独立に、「文芸家一般(または人間一般)は、『いつまでも子供』であるべきである。」とやはり固く信ずる。
- 低級な内実
- 馬か人間か
- 俳句と持参金と
- 上代婦人の機智
- 素人主義横行
- 閉幕の思想
1987
1988
- たわいない話
- 「めぐりあい・この一冊」
- 三つの作品
- 原口真智子作『神婚』のこと
- 私が出会った本
- 『同和がこわい考』論議の渦中から
- 断章三つ
- 島国人のさかしら
- 直喩のことなど
1989
1990
1991
- 四十年後の今日
- 数学と文学とのかかわりについて一言
- 日本漢詩について断章三つ
1992
- 『吉本隆明歳時記』のこと
- 田植えと海とのこと
- 夏休みと私との特殊な関係
- 半可通の知ったかぶり
1993
- 仮構の独立小宇宙
- 「作家のindex」事件
- 「いとこおじ」のこと
- 三説 俗情との結託 『フレンチドレッシング』と『女ざかり』
- 「作家のindex」事件 その二
- 告訴について
- おもいちがい
- 「春秋の花」連載開始の辯
- 現代転向の一事例
1994
- 道遠し
- 小田切秀雄の虚言症
- 三冊の作品集
- 一路
- 短章二つ 蔵書の中から
1995-1996
おくがき
巻末対話 個の自立について(鎌田慧・大西巨人)
単行本収録覚書
大西巨人文選4 月報 1996・8
- 記憶力過信 付けたり・二つの便り
- 一 「おのれを恃むことのはかなさ」について
- 二 二つの便り