山口健二の「太宰治」


山口健二『戦後革命無宿 聞き書き*山口健二という生き方』(私家版,2000年)の「2 一高から京大へ」から(pp.9-10)。

 それでたまたまだけど、太宰治がぜんぜん有名じゃなかったころ、まだ戦争中で、とにかく本屋行っても新刊書なんてあまり出ていなくて、本が並んでいないわけ。そんなときだから、太宰の新刊は出たら全部読む。第一作は『晩年』だったっけ。それとね、わりあい覚えてるのが『新ハムレット』、あと『正義と微笑』って小説もおぼえてる。それが戦争中に出てた。独特の文体でね、読んでてものすごく面白くて。それで本に住所が書いてあったから、訪ねていったんだ。そのころ三鷹下連雀っていったかな。最初は······そうだ、手紙を出したんだ。「本を読んだらすごい面白くて話を聞きにいきたいと思うんだけど云々」って。そうしたらびっくりしたんだけどけどさ、しばらくすると巻紙で筆で書いたような返事が来た(笑)。
 訪ねたのは、旅順に行く前のことだから一九四二か三年だと思う。何かの本にも書いてあるけど、太宰のきまり文句みたいのがあるじゃない、娼婦*1の根源は家庭であるみたいなさ、そんな話をした。小説家になるんだったら俺みたいに結婚しちゃだめだよ(笑)とか、その程度のたあいのないようなことをね。
 その当時は文学運動なんて影もかたちもないんだからね。売れてるのは全部文学報国会のなんとかとかさ。ようするに紙の配給がないわけだから。
── ほかの無頼派の作家にひかれたことは?
 うん、あったよ。坂口安吾も面白かったし、織田作之助とか。でも太宰は戦中から読んでいた······。


山口健二『アナルコ・コミュニズムの歴史的検証 山口健二遺稿集』(北冬書房,2003年)巻末掲載の山口智之「「書生っぽ」は想い出す 山口健二さんの思い出」から(p.240)。

 山口さんはかつて、三鷹太宰治宅を訪問したことがあるという。
 「僕も当時は学生でね、太宰のファンだったから手紙を出したんだ。そしたら返事が来て一度遊びに来いって。それで行ってみた。彼は『家庭なんて足かせでしかない、家庭なんて作っちゃ駄目だ』としきりに言っていたね。僕が結婚せず家庭を作らなかったのは、それが頭のすみっこにあったからだろうね」
 本当に太宰と会ったかどうかは疑わしいが、いかにもそれらしい話ではある。山口さんは最後まで、家庭の幸福は諸悪の本と言い張っていた。
 またこうも言っていた。「太宰のもので好きなのは『トカトントン』だな」
 これは、一つの物事に熱中しようとすると、頭の中で「トカトントン」という音がして、とたんに熱がさめてしまう男、虚無感に悩む男の話だ。なぜこの作品をあげたのか、分からない。こういう意味深長なことを言って人を煙に巻いていたのが、山口さんだ。


絓秀実『1968年』(ちくま新書,2006年)の「第二章 無党派市民運動と学生革命」から(p.110, 113)。

 山口が自身を早くから(そして、おそらくは終生)、自らを「ユダ」とアナロジーしていたであろうことは、戦時下の山口が太宰治に親炙して、「一九四二年か三年」頃に会ってさえいるという自身の回想(「戦後革命無宿」)からも明らかである。戦時下における太宰のコミュニズム運動からの「転向」は、最愛の共産党に対して自らを「ユダ」であると公言することによって、なされた。ユダがいなければキリストも存在しえないのだから、あえて共産党を裏切るという転向である。

 山口健二の生涯は、このような太宰治をモデルとしていたと思われる。太宰治と同様に、山口健二も、アナーキストであり、共産党員であり、社会党員であり、ソ連派であり、中国派であり、レーニン主義者であり、毛沢東主義者であるという、その「裏切り」のありかたにおいて革命家であろうとした、アイロニカルな存在のように見えるからだ。

ちなみに、『1968年』(p.109)には次の記述がある。

 山口健二が「親切な機械」の主人公のモデルであることは、二〇〇二年に初めて公表された「「親切な機械」創作ノート」(『決定版三島由紀夫全集』第一七巻)において、明確に名前が出ていることでも確実である。しかし、三島とのかかわりは、山口について活字になっている幾つかの年譜的記述や、晩年のインタヴューによる山口の自伝『戦後革命無宿』(私家版、一時一部の書店にて市販)にも記されていない。三島が山口について言及した文章も、「「親切な機械」創作ノート」以外には見出せない。

しかるに『戦後革命無宿』(p.10)には「三島とのかかわり」が記されているのである。

── 小説家になろうと思ったことは?
 やることないから文学好きみたいのを集めて同人雑誌を一号だけ出した。そのあとで、三島と何回か会った。
── どういった話をしたんですか。
 文学論みたいな話ももちろんしたけど、ぼくがからんだ京大で事件があってさ。

*1:山口健二は「諸悪」と発言したのであろうが、テープ起こしをした方が「娼婦」と聞き間違えたと思われる。