「帝国」の文学・プロローグ*1
第一章 「国民」というスキャンダル── 島崎藤村『破戒』他*2
第二章 「女」という非国民── 島崎藤村『春』、田山花袋「蒲団」他*3
- 『破戒』/「蒲団」/『春』
- 「戦士」たちの「父殺し」
- 「生命」という美学イデオロギー
- 「女は存在しない」
第三章 「非−真理」にいたる病── 田山花袋『生』、岩野泡鳴「耽溺』他*4
- 「自然」イデオロギーの成立過程
- 描写論のディレンマ
- 詩から散文へ
第四章 「冷笑」するオリエンタリズム── 永井荷風「花火」『あめりか物語』『ふらんす物語』他*5
- ゾライズム脱却の課題
- 「自然」nature「もの」
- マイノリティたち
- 享楽する父
第五章 「父殺し」の二つの型── 田山花袋『東京の三十年』、徳田秋声『足迹』『黴』他*6
- 文学的「自殺」
- 「黴」としての父権
- 三つの葬儀
第六章 ファルスをめぐる「大逆」── 石川啄木「時代閉塞の現状」、森鷗外「かのやうに」、幸徳秋水「基督抹殺論」、管野すが子「死出の道艸」他*7
- 「大逆」事件と自然主義
- 管野すが子と横山芳子
- 「王殺し」の回帰と帰結
第七章 漱石と天皇── 「思ひ出す事など」『彼岸過迄』『こゝろ』『道草』他*8
- 「国民作家」の沈黙
- 「大逆」としての修善寺の大患
- 「彼岸」への「道草」
エピローグ、あるいは地の果てへの「道艸」── 中上健次『地の果て 至上の時』*9
- 「国民作家」への道を閉ざす
- 大石誠之助の末裔
- 「王殺し」の不可能と、「違う」の一語
あとがき
注
「あとがき」から引用。
第一章から第六章までは、「批評空間」Ⅱ-13(一九九七年)からⅡ-18(一九九八年)までに「『帝国』の文学」の総題のもとに連載された。第七章は「文學界」二〇〇〇年九月号に掲載した。本書収録に際しては、すべてに、ある程度の加筆・訂正がほどこされている。「プロローグ」と「エピローグ」は書下ろしである。
『「帝国」の文学』書評
- 野口武彦「無題」(「朝日新聞」2001年8月19日朝刊)
- 横木徳久「国民文学という病」(「現代詩手帖」2001年9月号)
- 井口時男「精神分析的方法で緊張感に富む読解」(「東京新聞」2001年9月9日)
- 佐藤泉「天皇と文学を基軸に 九〇年代国民国家論に属す絓文学史」(「週刊読書人」2001年9月21日)
- 鎌田哲哉「定説の破壊」(「群像」2001年11月号)
- 大澤真幸「明治=大正期の文学にみる、王=父殺しの難しさ」(「論座」2001年11月号)
- 小林孝吉「文学における「失われた一〇年」 『「帝国」の文学』と空白の時代」(「情況」2001年11月号)
- 栗原幸夫「自然主義と「大逆」の間で 『「帝国」の文学』を読みながら」(「情況」2001年11月号)
- 石原千秋「無題」(「國文學 解釈と教材の研究」2001年12月号)
- 高橋源一郎「「大逆」と明治 『「帝国」の文学』を読む」(「批評空間」Ⅲ-2)
- 大野亮司「無題」(「日本近代文学」2002年5月号)
- 渡部直己「文芸(時)評ストレッチ⑧『「帝国」の文学』および絓秀実の現在について」(「早稲田文学」2002年7月号)