井上光晴の消去ないし希薄化


    「たたかいの犠牲」/「犠牲の座標」について・その一
「たたかいの犠牲」*1の「Ⅲ」冒頭にエピグラフとして下記した井上光晴の詩と加世田哲郎の短歌が引用されている。

もちろん
ひとりのからだといえども
そまつにしてはならぬ



そまつにしてはならぬ
けれども、そまつにせねばならぬ



きびしい道を歩まねばならぬ
そそりたつ崖を
よじのぼらねばならぬ



ひとりのからだといえども
そまつにしない世の中をつくるために
若きいのちを
すりへらさねばならぬ

井上光晴『きびしい道』



学生服裂かれ国民服に着替えたる九学連委員長大澤康夫があどけなき顔

棍棒の嵐に抗したたかえる眼鏡なき学友がほほえみてゆく

─加世田哲郎

「きびしい道」(1946年5月15日作)は1948年11月15日に新日本文学会長崎支部から刊行された井上光晴と大場康二郎との共著『すばらしき人間群』に収録されている詩である。
「たたかいの犠牲」の新訂篇「犠牲の座標」*2の「三」冒頭から、上記エピグラフは削除されている。


    「たたかいの犠牲」/「犠牲の座標」について・その二
「たたかいの犠牲」の「Ⅰ」には、K大経済学部一年の学生が主人公に寄こした手紙が引用されており、その中には下の箇所がある。

いま気がつきましたが、お借りしている『コミンフオルムの報告と決議』と『すばらしき人間群』とは、第四日曜に持参します

「犠牲の座標」の「一」には、西大経済学部の一学生が主人公に寄こした手紙が引用されており、その中には下の箇所がある。

いま気がつきましたが、お借りしている『コミンフオルムの報告および決議』と星中満治詩集『すばらしきオルグたち』とは、第四日曜に持参します

「たたかいの犠牲」における『すばらしき人間群』は新訂篇「犠牲の座標」では『すばらしきオルグたち』と仮構化をほどこされている。


    「黄金伝説」/「伝説の黄昏」について
「黄金伝説」*3の「七 手紙」は冒頭に「新城からS─市の或る同志へ」とある。
「黄金伝説」の新訂篇「伝説の黄昏」*4の「七 禍根残留」は冒頭に「〈新城より同憂の士〉(多島県〔西海地方中部〕大浦市在住、日本人民党大浦市委員会常任委員)への手紙・一九四九年七月二十×日附・抜萃」とある。
つまりこの「七」章は、当時大西巨人と親しい間柄であった長崎県佐世保市在住の井上光晴への手紙という設定である。
「黄金伝説」の「七 手紙」最終段落に下の記述がある。

これからが本腰の長い困難なたたかいが続くだろう。「このパイケーキの匂いに 骨を奪われた 人々ひしめく日本のマニラ・・・・・・」と君が歌つた新軍港・植民都市での君の一そうの健闘を祈る。

「伝説の黄昏」の「七 禍根残留」における対応箇所は下のごとくである。

これからが、ほんとうに、長い、長い、長い、困難な、困難な、困難な、たたかい。君のいっそうの健闘を、私は念ずる。

「このパイケーキの匂いに 骨を奪われた 人々ひしめく日本のマニラ」は1956年11月10日に近代生活社から刊行された井上光晴の著作『すばらしき人間群』に収録されている「島」(1950年7月作)という詩の一節であるが、新訂篇では削除されている。


    結言
1953年に『新日本文学』誌上で発表され、1986〜1987年に新訂篇が『社会評論』誌上で発表され、1988年刊行の『連環体長篇小説 地獄変相奏鳴曲』の第二・三楽章を占めることになった「黄金伝説」/「伝説の黄昏」および「たたかいの犠牲」/「犠牲の座標」の二作品では、初稿から新訂篇への移行によって、井上光晴の作品からの引用や作品名が削除ないし仮構化されることで、井上光晴の痕跡が消去ないし希薄化されている。
大西巨人井上光晴は戦後まもなくに知り合い、共に日本共産党員・新日本文学会員でもあり、親しい同志であったが、1975年に大西巨人から井上光晴を絶交にした*5。新訂篇での井上光晴の痕跡の消去ないし希薄化には、絶交という事情が大きく作用しているはずである。

*1:新日本文学』1953年4月号

*2:地獄変相奏鳴曲』

*3:新日本文学』1954年1月号

*4:地獄変相奏鳴曲』

*5:「宴に代えて」「小田切秀雄の虚言症」参照